なんでもない日常

 行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。淀みに浮くうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまることなし。
 この言葉を聞くと、覆水盆に返らずという言葉を思い浮かべる。過ぎ去った過去はもう元には戻らない。そういうことだ。取り返しがつかないもので、それは当たり前のこと。にもかかわらず人は、過去に戻ることにロマンを感じることもある。
 手に入れることができないからこそ欲しがり、手に入らないからこそ想像する。俺にだって後悔していないことがないわけじゃない。だからちょっとくらい、昔に戻れないかなと思ったりもする。けれど、そんなことは出来ないわけで。
 「なになに、そんな深刻そうな顔して。ひょっとして友達がいないことで悩んでるとか?」
 「……それは俺の人生における永遠のテーマだから気にしないでくれ」
 俺のことを苛めてなんだか楽しんでいる熊野と付き合ったことを後悔したとしても、責められないとは思うのだ。なんでこう、最初の一言で止めておけば感じがいいものを余計なひと言を付け加えるのだろうか。マジで意味が分からん。
 「僕以外に友達作るんだったら事前に申請通しといてね」
 「友達を作るのにお前の許可がいるのか!?」
 「申請書に住所氏名年齢電話番号をお書きの上、ご覧の宛先までお送りください」
 「抽選で10名の方に友達をプレゼント!ってか!」
 契約するタイプの友達は聞いたことがあったけれど、懸賞で当てる友達と言うのは初耳だった。いや、いずれにしろそんなものは友達とは言わないのだが。
 「ていうか僕一人じゃ嫌なの?」
 「なんていうか、お前は恋人なんだろ」
 「恋人兼友達兼赤の他人」
 「相容れない三つだよなそれ」
 特に赤の他人。まあただの赤の他人ならまだしも、恋人兼赤の他人ってなんだそれは。他人じゃないだろそれは。まあそんなツッコミも置いておいて。
 「だからー、君には僕一人いればそれでいいじゃん」
 「いや、お前は置いといてさすがに友達いねーのはちょっとまずくないか?」
 「不味くないよ全然。友達いなくても人生って回ってくし」
 「独占欲なのか?」
 「きみ自分に友達居ないって理解した上で言ってる?」
 「お前ほんとに飴とムチだよな!」
 なんだろ、俺がなんだかときめきそうなセリフを言った直後になんだか突き放してくると言うのはなんなのだろう。ムチとムチなのだろうか。とんだ圧政である。
 「なんだよ、僕がなんだか意地悪してるみたいに」
 「自覚がないようでなによりだな!」
 「僕としては仲良くしてるつもりなんだけどな」
 「いや、友達のいない俺が言うのも随分おかしな話なのだけれど、お前絶対友達いねえだろ!」
 なんだろう、自覚がないよりはあった方がまだましな気はするけれど。これは流石にひどすぎるのではないだろうか。うーむ。
 「確かに友達はいないかもしれないけど」
 座っている俺のすぐ真後ろに、熊野は立つ。一体何をするのかと身構えていたら。
 「僕ってば、好きな人には意地悪したくなるんだよね」
 耳元でそういう風にささやかれると、なんだかこそばゆい。首が動かないように、なんだか後ろから頭を抱きかかえられてるから、なんだか照れる。
 「……お前」
 「めんどくさい性格してるなあって、自覚はしてるんだけどね」
 「……大丈夫、面倒では、ないから」
 そりゃあ悪口とか暴言とか、そういうのに傷ついたりしないわけでもないんだけど。最終的に熊野が、俺のことを嫌っているからそういうことを言っているわけではないって、そこだけは理解できているから。だから、結局そのあたりもひっくるめて熊野だと思っている。
 「ふーん、ならまあ、いいけど」
 「あんまり納得してない風だな」
 「複雑ではあるけれど、君を苛められないとなると僕としてもちょっと辛いよね」
 「あんまり辛がるなよ、そこは」
 むしろ苛めないことでどうにかやっていけないかということを考えてほしいくらいだが、それは出来ない相談なのだろう。
 「そういえば市野瀬君」
 「ん、なんだよ」
 「いじめってどうしてなくならないんだろうね」
 「いや、お前みたいに考える奴がいるからなくならないんじゃないか?」
 しかしまあ、世の中そんなに愛と平和であふれてるわけでもないのだが。むしろ気に入らないからとか、癇に障ったとか、そのときたまたま機嫌が悪かったからとか。そんな理由であることの方が多いのだろう。
 「む、失礼な。僕はそういうのとは違うじゃん」  「そうだな、本人に直接言ってくるくらいだからな」
 「じゃあ今日の帰りくらいに筆箱隠しておいてあげようか?」
 「いやだからな、本人に言っとけば何してもいいってことじゃねえんだよ!」
 そんな小学生のいじめみたいなことをしはじめるとは思いもしなかった。それにクラス違うから俺の筆箱を手に入れるのだってそこまで簡単なことでもないはずだ。
 「で、話を戻そうか」
 「俺たちは一体何について話しててここまで話がそれたんだ?」
 そもそも最初からどうでもいい話しか展開していなかったような気がする。本流がないのであればそもそも話がそれたというのもおかしな話ではあるし。
 「市野瀬君が僕のどこを好きになったのかについて、だったかな」
 「微塵もしてねえ!けど否定するのもなんか忍びない!」
 「ほらほら、いいから言ってみなよ」
 「なんだろう、なんで俺、こんな状況に追い詰められているんだろう」
 一言で戦況をひっくり返すとは、流石熊野だった。俺なんて結局、掌の上でもてあそばれていたのかもしれない。切ない限りだった。
 「それとも、言えないの?」
 「なんだかんだで俺のことが好きなところかな!」
 それはもう病的なまでにだけど。なんだろう、俺、そこまで人に好かれるようなものを持っていたのだろうか。なんて、そんな疑問を持ったところで、意味がないのは重々承知してるんだけど。
 「なんだろう、この追いつめられてやぶれかぶれになってる感じ」
 「……つかれた」
 「ゾクゾクしてくるね」
 「加虐主義もいいところまできてるな!」
 ゾクゾクする、なんて反応は普通の人から得られる反応ではあるまい。ドMかドSかどっちかだろう。そして熊野がどっちかなんて……いやこの話はやめておこう。
 「何、僕と付き合ってみたことを後悔してるの?」
 「……俺がお試しで決めたみたいなことを言うな、お前は」
 「悪いけど、僕、誰かと付き合ってそれで別れたこと、ないんだよ?」
 そりゃあ。一度も経験がないのであれば、つまりはそういうことになるのだろうが。なんだろう、意味もなく重い話になってしまっている気がする。
 「そう、なんだろうな」
 「だから市野瀬くんとも、別れるつもりはないよ」
 「……奇遇だな、俺もだ」
 「まあそうだよね、市野瀬くん、僕と別れたらもう話をする友達いなくなっちゃうもんね」
 「なんで今までいいこと言ってたのに一気にぶち壊すんだ!?」
 シリアスムードというにはいささか中途半端だったような気もするが、そんなことはまあ置いておいて、けれどそれでも一瞬でぶち壊しにするような台詞を吐いてくれた。なんだろう、真剣な空気になるととりあえず茶々入れたくなっちゃう性格なのだろうか。……以外にも難儀な奴だ。
 「で、結局何の話してたんだっけ?」
 「さあ……結局何の話もしてないんじゃねーか?」
 初めは熊野との付き合いを考えたほうがいいのではないのか、という俺の思考から始まったわけだけど。けどまあ、なんだかんだでこういう風に会話ができる奴と言うのも、熊野くらいだったから。それにまあ、楽しくないなんてこともないし。
 「そうだ、僕夏休みに入ったらやりたいことがあるんだけど」
 「俺を徹底的に苛め倒すとかはやめてくれよ」
 「君ね、ちょっと卑屈になりすぎじゃないの?」
 なんていうか、お前のせいだといいたいところはなんとかこらえた。あいつだって悪気があってやってるわけじゃないってことくらい、俺も熟知はしてるつもりだ。
 「僕ねえ、花火したい」
 「花火?」
 花火を見たいとか、そういう話ではないのだろうか。まあ熊野がそう言うのであれば花火セットを買って手ごろな場所で花火をしたっていいのだが、別に特に俺に今言わなくたっていいのではないだろうか、と思ってしまった。
 いや、これは別に花火したい、っていうのがどうでもいいとかそういう話ではなくて、単に呼び出されれば俺はほいほい行ってしまうのだからやりたいなんて予告は特にいらないのではないだろうか、と俺は思ったりするのだった。まあ、それはそれで面倒くさがっている気もするけれど。
 「そう、線香花火」
 「まあいいんじゃねえか?おまえんちに泊まりに行ったときにでもやれば」
 「とりあえずロウソクの蝋を君にたらして遊ばないと」
 「いや言っとくけどな熊野、俺はMじゃねえんだ!」
 罵詈雑言言われ倒しているのはまあまだ許容するとしてもさすがにそれは俺も許容しない。いやだって肉体的に苛められて喜ぶ人種ではないわけだし。
 「だから苛めて欲しい、と?」
 「お前まず間違いなく俺の話聞いてねえだろ!?」
 「聞いてる時もある、くらいだね」
 「それがどれくらいの頻度なのかすげー気になるけどな……」
 すべては熊野の都合のままらしい。まあそんな予感はしていたのだけど。早いところ夏休み来ないかなあ、とは思うのだった。
 

- the end -

2013-10-13

ここまで起承転結がない話っていうのも珍しい感じがしますなあ。
雑談しかしてないお話というのがまあ、僕の書く話だったりして。