夜に咲き誇る桜

 それは、桜の綺麗な夜だった。生憎夜空の方は月が雲に見え隠れしていて、たまにふっと優しい光が舞い降りる。月に叢雲花に風、というものの、今日は夜桜見物に適した日だと言える。あくまで桜を主役に据える、という話であるのなら。
 今日は珍しく、縁側から近くに生えている桜の木を眺めていた。元は花見客を呼び寄せる目的で村のいたるところに植えられたらしい。その努力が実っているかはさておいて、家に居ながら手軽に花見を楽しめることに関してはいいことだと感じる。
 『もうすぐ一年くらい、か』
 この時間帯ならまだ出歩けるので、村の入口まで言って桜並木を見てくるのもいいかもしれない。けれど、そこまで行動するような気力は全くと言っていいほど、起きなかった。
 『あっという間だったよな』
 こうして自堕落に、ごろごろと寝転がりながら。そんな楽しみ方もあっていいと思う。家中の明かりを消して。おかげで雲がかかった時とかかってない時の違いを感じることもできる。
 『で、何か用なのか?』
 手に握ったままの携帯が震える。その人工的な明かりは決して好んではいないけれど、かと言って嫌いと断言できるほど忌避しているわけでもない。
 航輔は基本的にメールを打つ時に絵文字を使わない。それは世界に対してだけではなく、誰に対してもそう。この一年、何度も誰かにメールを打つ姿を見たけれど、絵文字を使っていた記憶はない。たまに、でも使っていたのなら逆に記憶に残っているはずだから。
 それでも例外がないわけではない。ハートマークは愛情の証なのか、たまにそれ単体でメールを送ってきたりして反応に困った記憶もまた、残っている。絵文字の使われたメールは苦手だ。言葉が軽くなってしまうような気がして。伝えたい想いもそれほど軽かったのか、と思ってしまう。
 陸などはメールするときに絵文字を使うけれど、それはいい。陸を軽く見ているわけではなく、航輔との関係の方が、言葉の一つ一つを重要視するくらいに、重い。
 去年の同じ時期に世界と航輔は付き合い始めた。それからしばらくは、お互いの距離感に悩んでいた時期もあったけれど、最終的には普通の恋人として生活を送っている。それからもうすぐで、一年。いちいち記念日とか、そういうことは考えたこともないけど、節目なのは事実。その期間は全く意識していなかったけどもう一年。
 よくよく思い出してみれば、今日の夜がちょうど一年なのではないだろうか。思い出さなきゃよかった、と世界は心の中で毒づく。そんな風に会う口実を探してしまうのは嫌だった。会いたいなら会えばいい。会いたくないなら会わなければいい。それだけだ。
 けれど世界は、航輔に直接『会いたい』ということはいまだに苦手だった。だいたい最初に自分の気持ちを航輔に伝えたときだって、航輔がどう答えるのか大体予測できるような状況下で、だった。自分の気持ちをコトバにして伝えるのは、どうも苦手意識がある。
 けれど今まで、ちゃんと言葉にしなければ伝わらないこともある、ってちゃんと学習したから。でもそれなら、せめてメールではなくてちゃんと言葉にして伝えたいって、思うから。
 『どーした?』
 駆け引きなんてできない。だから航輔から会いたい、って言葉を引き出すこともできないし、したくない。あまりにそれは、意地が悪い気がして。まるで月を隠す雲みたいに、花を散らす、風みたいに。
 『電話して。待ってるから』
 それくらいは、許されるのではないだろうか。これでも随分譲歩した結果だ。メールじゃなくて直接言葉が欲しいって思った、その結果。だから電話がかかってきたら言ってやろう。『会いたい』、って。

 殊勝、というには少し意味が違う気もする。けれどそんなことも思ってしまうような返信だった。
 その時の航輔は何をしていたかと言えば、とりわけすることもなく自室で適当な雑誌をめくっていた程度である。今日の夜から一年も前に、世界に自分の想いを伝えられた。そのことは結構前から自覚していたが、そんな記念日みたいなことを世界が好むとも思えなかったのであえて沈黙を選択していた。
 内心ではもう口実でもいいから会っていろんなことを話したい。内容なんてあろうとなかろうと関係ない、ただ一緒に居るだけでもいい。素直にそう思える相手に出会えたこと自体が素晴らしいことだった。
 ぶっきらぼうで、粗暴で、素直じゃないところもある。気まぐれで、適当で、ずぼらな性格もしている。それでも航輔を深く慕っていることはわかるし、その気持ちがまだ色あせていないだろうことも、感じ取れる。
 要するに恋は盲目、というやつなのだろうが、願わくば一生こんな状態であってほしい。それを貫き通す覚悟がないのか、と問われればそれまでだが、まだそこまで考えが至るにはいかんせん早すぎる。まだまだ世界のことを知ってる、と言い切れるほどではないのだ。
 なんだかんだでキスより先に進んだ関係にはまだなっていない。けどそれでもいいと思う。そういう相手だから。時間なんて、まだまだある。だから、もうそろそろそういう考えから思考を切り離そう。
 とはいえ、世界からのメールは要するに『電話しろ』とそういうことである。あまりそう言ったことを自分から言ってくるようなことはないのだが、何も考えずに短縮ボタンに登録してある電話番号を呼び出す。案の定、3コール目で相手は出た。
 『……よう』
 「なんだ、メールじゃ駄目だったか?」
 『そうだな、俺はメールより電話のが好きだ』
 まだ変声期に差し掛かってないのか、世界の声はちょっと高い。いつになったら伸びるのかわからない背丈も、一年前と変わりない。
 「じゃあ今度から電話にする」
 『それは時間のある時でいいや』
 世界とメールでやりとりしている間はだいたい時間のある時である。電話ができないような状況もなくはない。けれどやっぱり、航輔も実際のところ、電話する方がよかった。時間さえ許すなら直接会うほうが、より一層。
 「それなら毎日電話してやるよ、覚悟しとけ」
 『着信履歴がお前だけで埋まるってか。まあ今もそんな感じなんだけど』
 航輔もそんな感じである。近所に住んでいるのに、とも思うが、やはり会えない日とかはメールや電話をすることが圧倒的に多い。いつもはどちらかがメールして、気が向くと電話に変わったりする。
 「そうだな、発信履歴はお前の名前しかない」
 『……そういうことをさらっと言っちゃうお前はなんなの?』
 「別に、誰も聞いてないだろ」
 確かに高校では秘密にしている付き合いだが、そうでなくとも周囲からは親友だと思われているのでそこまで大差はない。まさか人前で手をつないだりは出来ない。大半の理由は世界が嫌がるからなのだが、航輔としては別にオープンにしたっていいとも思っている。
 『聞いてないけどさあ……まあいいや』
 「面倒だ、か?」
 舌打ちが聞こえてきた。それくらいはよく聞くので気に留めたら負けである。ちょっとイラッとしたときの世界の癖。
 『分かってんなら言うなよ……』
 「分かった分かった、今度から気を付ける」
 こんなやり取りをして気を遣ったためしなど、一度としてないのだが。
 『お前がこういう約束守った試しねえだろ。そんなことより、今からちょっと会いにこいよ』
 「別にいいけど、お前の家か?」
 『まあそうだな。嫌ならお前ん家行くけど』
 嫌、とか。世界は航輔がそんな返事をすると思ったのだろうか。思っていないに決まっている。そして航輔もそんな返事をするつもりは毛頭なかった。
 「だらだら待ってろ、すぐ行くから」
 そこで通話を切った。間延びした話し方からして寝転がりながら話していたことは察しがついていた。そこからリビングまで降りて、母に行先を告げるとさっさと自転車に乗って走る。どうでもいいことだったが、リビングを通り過ぎる際に「今日帰ってこなくてもいいからねー」などと言われたような気がするが、全力で聞かなかったことにした。カミングアウトした時もそうだったけど、いやに協力的だ。否定的であるよりは幾分もマシなのだが。
 自転車のライトが夜闇を切り裂くように疾走する。今日は月が雲によって見え隠れしていたが、今は完全に隠れているらしい。頼りになる明かりがほとんどない中、航輔は一路世界の家へ。

 電話が切れてからどれくらいの時間が経っただろうか。宵にぼんやりと浮かぶ桜を見ていた。輪郭がはっきりしない分なんだか儚げな印象。それでも十分に美しい、と言える光景である。
 ただ、それを妨げるように明るい光がこちらに向かって走ってくる。それが誰だかわかるだけに、世界はすこし顔をしかめた。
 目の前で自転車が止まり、また庭にさっきの薄暗さが戻る。
 「お前、こんなところで寝転がってたのか」
 「……どーでもいいけど、自転車のライト消して来いよ、雰囲気台無しだろーが」
 世界はそこでようやく起き上がる。航輔は自転車を玄関の前に止めて、また世界の隣に戻る。
 「無茶言うな、さすがにライトなしじゃどっかで事故るぞ」
 「お前ならなんとかなるだろ、頑丈そうだし」
 「そうだな、お前は逆に弱そうだもんな」
 そして航輔は、世界の頭に手を置く。そういう癖がすでに出来上がっているらしく、何度か注意しても治らないのだ。
 「余計なお世話だ」
 実際のところ、世界にそういう自覚はある。主に体格面で航輔にかなり劣っていることは事実だ。
 「お前はそれが一番いい」
 「だろ、俺も今のお前が一番好きだ」
 唐突にそんな話を振られたのが意外だったのか、面食らったような表情を浮かべている航輔。そしてふっと笑うと、
 「それって今が最高潮ってことか?」
 「俺の好みはころころ変わるからな」
 それの意味するところまで、航輔は追及してこない。おそらく、大体分かっているだろうから。どちらがそれをしようと思ったのかはわからないが、いつの間にか二人の手が重なっていて、その上に。風に流されてきたのか、花弁が一枚、ふわりと乗った。
 

- the end -

2012-04-18

実はとある曲をモチーフに書いた話なのですが……。
何の曲か分かったりしますかね。
僕のやることは基本あざといんで分かりやすい気はしますがw