第六話 「第一次接触E」

 またね、という言葉を確かに交わしたような気がする。それはもう、遠い世界の遠い思い出のように色褪せてしまったけれど。時々、というよりは頻繁に、その言葉を思い出す。もう会う機会なんて、きっとないのだろうが。  最近は夜にあまり眠れなくて、朝まで寝つけないこともしばしばある。もはやいつものこととなってきたが、あれ以来まともに眠れる日がほとんどなくなっている。見慣れた白みがかった空は、いつも寂しさを増幅してくれるだけのものでしかない。  その生活にもうすっかり慣れてしまったのは、良いことなのか悪いことなのか。一つ言えることは、なんであれ結局は今の状況と変わらないということだ。  週末だというのにすることは特にない。特にない、というには語弊がある。自分のしたいことに費やす時間がない、と言い換えるべきだ。とはいえ、そんな状況にも慣れてはきていたが。  そんなわけで、土曜日の朝。今日一日はアルバイトなので朝の7時から起きだして原付を走らせていた。と、そんな時にとある公園を見かけた。毎週一回は通るはずなのに、今日は何故か気になった。時間に余裕があるということもあって、寄ってみる。  もう何年も立ち寄っていない場所だ。そもそももう公園で遊ぶような年齢ではなくなったし、公園に行くような時間もあまりない。だから本当に、今日ここに立ち寄ったのはある意味で、奇跡なのかもしれない。そんな言葉で飾るほどの出来事なんかじゃないけど。  何か楽しい思い出が、そこに眠っていたような気がするけど。それを起こしてはいけないような気がした。
 「……何してるの?」
 声をかけられて、そして驚いて振り返った。友達、というには微妙な間柄だったけど、少なからず知っている人物がそこに居た。
 「森田君、だね。君こそ何してるんだい?」
 森田陸。昔は違う苗字だったと記憶している。が、それに纏わる話も多少関わっている都合上あまり触れたくないという思いはある。
 「んー、僕はただ散策をしてただけかなー」
 「君鎌橋住みじゃないだろ?」
 確か海城村、という鎌橋市の隣にある村に住んでいたはず。なら、こんな朝早くにここにいるのはおかしいということになる。
 「まぁあんまり気にしないでいてくれると助かるかな」
 「そう、じゃあ俺は行くから。またね」
 またね、と言いつつも次に会いたい、とは思わない。なのにそんな言葉が口をついてしまったのは結局、忘れたことにしたと思いつつも心の奥底にきちんとしまわれていたのだろう。
 「……また、ね」
 言外に何か含まれているような気がしたけれど、あくまでそれは気のせいなのだった。

 話は金曜日の夜、相変わらず仲はいいこの二人の話に戻る。翌日デートに行くということで結局話はまとまったのだが、それはそれ、これはこれ。金曜日の夜の過ごし方に関しては航輔も特に何も言わなかった。そこはいまだゲーム漬けの生活が身に染みているままの世界である。今日の夜も明日は土曜と言うことでさっそく航輔を放置してゲーム機の電源を入れた。放置して、とはいえ隣にはいるのだが。
 「明日8時には起こすぞお前」
 「なんとかなる」
 「ほんとかー?」
 航輔が疑うのも無理はない。明らかに世界は適当な調子で言っている。こうなったらもう梃子でも動かないと諦めて、せめてもの抵抗で世界を抱きかかえてみた。もうゲームの世界に入ってしまったようで、世界は何も言わなかった。それが嬉しいことなのか悲しいことなのか。一体どっちなのか航輔には判断がつかない。
 とはいえ健康不良児の世界と違って健康的な生活習慣を維持している航輔は、日付が変わるころにはもう眠くなっている。なんだかんだで話しかけると応じてくれる世界に、ついに眠気と戦っていることがバレたのかこんなことを言われた。
 「ねみーなら寝るか?」
 大きなあくびを何度かした直後だっただけに、お言葉に甘えることにした。けれど、世界はまだ未練が残ってるらしく、
 「もーちょっと……したら……寝る」
 まだまだこれからと言わんばかりの世界はなんだか楽しそうで、いつもの低血圧気味の反応とはどこか違った。それが寂しいかと言われれば若干そんな気はするのだが、生憎それについて深く考える余裕は今の航輔にはなかった。
 寝室、というより和室を寝室として使っているだけのようだが、その暗い部屋に入ると、二組の布団が敷いてあった。若干大きめの布団と少し航輔が寝るには狭い布団がある。順当に考えるなら、狭いほうが普段世界が寝ているのだろう。であるなら、航輔はもう一方の布団で寝るべきなのだろうが。
 「……」
 なんとなくだ、なんとなく。そう自分に言い聞かせて、もう一つの方の布団にもぐる。つまりは世界が普段使っている方だ。今日干していたのか、おひさまの匂いと他に、さっきまで目の前にいた世界から感じる匂いがした。
 ちょっとだけ潜ってみて、そしてすぐに脱出しようと思ったのだが、思いのほか居心地が良くて。ついでに眠さが限界だった航輔はあっという間に眠りに落ちていた。

 「そろそろ寝る……か」
 一区切りがついてゲーム機の電源を落とす。時刻はすでに午前4時。航輔が寝てからも随分と時間がたっている。が、航輔がいつ寝たのかわからない世界にとっては、いつも通りの出来事なのだった。
 寝るための支度を整えて、部屋の電気を消して航輔が寝ているはずの寝室へ向かう。そっと入ると、なぜか手前側の布団には誰もいなかった。世界は確か、手前側に来客用の布団を敷いていたはずだ。そこに居ないということは。
 「……なんでそっちで寝てんだよ……」
 世界がいつも使っている布団の方に、航輔はうつぶせに寝ていた。航輔に使われてることに怒るわけではない。世界の使っている布団は航輔には小さいと思ったからわざわざ来客用の布団を敷いたわけなのに、その心意気は無視されたわけだ。それにいちいち腹を立てるつもりはないけど、なんだかちょっとしたモヤモヤは残った。
 それでももう仕方ないと、世界はもう来客用の布団で眠ることにして航輔の方を見る。なんだかもぞもぞ動いていた。
 「なんだ……まだ起きてたのか……」
 むくり、というくらい緩慢な動作で起き上がり、機嫌の悪そうな声が聞こえてきた。
 「お前こそなんでそっちで寝てるんだよ」
 世界の問いかけには全く答えずに、こっちへこいと手招きする。なんだか説教でもされるのかと身構えながら近寄った。すると。
 「やっぱあったかいな、お前」
 そのまま布団に引きずり込まれた。ただでさえ狭い布団に二人。どうあがいたところで容量はオーバーしてしまっている。今の季節的にまだ夜は冷える。手足がはみ出てなんだか寒い。背中だけ温かいけどそれでプラスマイナスゼロ、というわけにはいかない。
 「いやだから何の話――」
 続きを言う前にもうすでに寝息が聞こえてきた。だからもう、世界としては諦めることにした。夢の続きに入ってしまった航輔をまた、引きずり戻すなんてことは、したくない。

 目覚ましが鳴る前に、目が覚めた。時刻としては7時半を回った頃合い。睡眠時間としては妥当なところだろうか。すっきりと目が覚めた。けれど世界の布団で寝たせいか、やはり若干肌寒さは感じる。
 けれど、なぜか腕の中は温かい。不思議に思って布団をめくってみるとそこにはなぜか世界が居た。なぜか、と白々しく言ってみたものの大体理由は想像がつく。布団にやってきた世界を捕獲したに違いない。おかげで若干寒かったものの、快適に過ごすことは出来た。
 とりあえず起きだす。どうせ世界のことだから寝たのは3時とかそのあたりに寝たんだろう。やたら気持ちよさそうに寝られたらさすがの航輔も起こせない。というより、まじまじと寝顔を見る機会なんてそんなないわけで。  「……」
 もうしばらくこんな安らかな風景を眺めていたくなって、ぼんやりと眺めていた。呼吸の音とともに肩が上下する。よくよく考えてみれば世界の寝顔なんて見る機会はなかったわけで。初めて見る、という訳じゃなかったけれど、こうしてみてみる機会なんてなかったのである。
 世界と付き合い始めてからどれくらい月日が経過したのかはわからないが、あまり長くないのは事実である。一応昔からの幼馴染ではあるけれど、あまりいい付き合い方をしていたとはいえない。恋人という関係になってからも、そう大して進展しているわけではないのだが。
 とはいえ、付き合い始めてから世界との距離が縮まったといえばそれは間違いのない事実である。会話する時間も、一緒にいる時間も。幼馴染として過ごしていた時期よりも、ずっとずっと世界のことを知ることができたような気がする。
 それを思えば、やはり告白しておいてよかったのだろう。あのままなんとなくつかず離れずのような距離感でいるのは、さすがに耐えれるかどうか、わからない。
 一体いつから世界のことが好きだと想っていたのか、そんなことはもうわからない。大事なのはその気持ちが色褪せないかどうかである。消えてしまったら今のこの関係も何もかも意味がなくなってしまう。
 世界の寝顔を見ながら、なんだか感傷的な気分が浸っている。緩やかに幸せな気分でいるときには、これを失いたくないと強く感じてしまう。きっと理由はそれなんだろう。ひく、と世界の鼻が動いたような、そんな気がした。
 

- continue -

2012-12-05

一か月ぶりに俺、参上!
世の中は魔法使いですか?
とはいっても話はあんまり進んでません。