最後の錦冠が消えた時

 「7月26日? ……来週の木曜日か」
 終業式が目前に迫り、同時に夏休みも間近に控えているそんな日だった。とりわけ楽しみにしていたわけでもないけれど心が浮き立つのは、やはり長期の休みとはそういうものなのだと思う。ここ最近は夏の暑さに凹まされ気味だっただけに、いい影響を与えてくれていると思う。
 とはいえそれでも日差しが緩んでくれるわけもない。俺としてはまだ普通に過ごせるレベルなのだが一人心配なヤツがいる。
 松木島世界。犬獣人で一言で言うならとても小さい。身長がまだ140pに到達しないのはいったいどういうことなのだろうと思う話ではあるのだが、本人に言うと普通に怒るので突っ込めるはずもない。
 で、その世界なのだが、夏に弱い。ついでに冬にも弱い。気温が極端に変化する季節にとても弱い。どちらかと言えば着込めばなんとかなる冬の方がマシで夏はあからさまに元気がないのである。分かりやすい症状で言うなら夏バテしていることになるのだが。
 まあ、大体の場合においてちょっと元気をなくしたくらいで心配をかけるような優しいキャラと俺はまた違うわけであるが、世界の場合は事情がまた別である。とはいえただ単純に、俺が世界と付き合っているとそれだけの話なんだが。
 とはいえまだ手もつないだことがないのはさすがに問題だと俺は思うのだ。春休みに告白して今すでに4か月。傍から見れば友達にしか見えない。それはそれでいいと思うけれど、あいつと友達以上の関係になりたくて告白までしたはずなのに、これじゃあ全くその意味がない。
 けれどどうしたらいいのかもわからずに、ただ時間が過ぎて。そしてそれはそんな中で世界が珍しく話しかけてきたことに始まった。
 「空いてるか?」
 前の席に座る世界は、普段は俺から話しかけない限り滅多にしゃべることがない。ただし学校内に限る。あんまり人に知られたくないらしい。俺としては全く気にしないが、結局はそれを尊重せざるを得ないわけだ。
 タイミングを見計らっていたらしくちらちらと俺の方を見てから話しかける様は見ていて実に可愛げがあったのだが、そんな話は置いといて。
 「空いてるが……お前がそんなことを聞いてくるとはな」
 今の俺に世界に関すること以外で優先することはほとんどないから、むしろ先約があったとしても無理矢理開けるんだけれど、幸い今のところ夏休みは予定が特にない。
 「何ニヤニヤ笑ってんだお前は……気味悪ぃ」
 ついうっかり表情に出ていたらしい。別段世界にそれを隠す理由はない。けど、好きな奴相手であるのなら話しかけてくれるだけで嬉しいに決まっている。
 「んじゃまあ、そーいうことで。17時半に駅前な」
 それっきり、その話題は切れてしまったから、結局何を目的に誘いをかけてきたのかはわからなかった。そもそも17時半と言う若干遅い時間帯に待ち合わせを指定してきたのは一体何故なのだろう。答えは数日後くらいに明らかになったけれど、今の俺は何もわからなかった。

 7月26日、木曜日。17時ごろ。当の昔に暑い時間は過ぎ去ったとはいえ、この時間帯も普通に考えて暑い。むしろ太陽が出ていればそれが何時であれ暑いのではないかと俺は思ってしまう。思えば夏休みは暑い暑い言って家からそんなに出ない生活を送ってしまって航輔に怒られたのも記憶に新しい。
 我ながらあんな生活してたらさすがに怒るよな、と反省するくらいの荒みっぷりを見せていたので、今日の自分は頑張ったと胸を張って言える。
 今日はいったい何があるのか、何に航輔を誘ったのか。その答えは、今日の駅前の混雑っぷりに如実にあらわれている。その独特の雰囲気は、数多の人々を魅了するであろう、夏祭り。鎌橋市最大級のイベントだ。同日開催の花火大会や盆踊り大会を含めればその規模は近隣市町村でも随一になる。
 それに一緒に行こう、と航輔を誘ったのはもう1週間以上も前になる。二つ返事だっただけにきっと何があるのか知らないんだろうなあと思っていたら数日後にはしっかり知っていた。要はそういうことになる、って気づいたからだろう。あれ以来どことなくあいつの機嫌はいいままだった。
 俺だって一応航輔と付き合っているという自覚はある。あるからこそこのままじゃダメかな、って思うこともあるし、だからこそ今日は二人で行こう、と誘ったのだ。それはもう滅茶苦茶頑張った。うん。
 そんなわけで、今日の俺の服装は浴衣である。今までそーいうのを着る機会がなかっただけに興味があった、というのもある。紺色に向日葵をあしらった浴衣。今日買ってきたやつなのだが、俺は結構気に入っている。航輔がどんな反応を見せてくれるのか、少し見てみたかった。
 祭りの開始は、午後6時から。駅から鎌橋神社に至るまでの通りを封鎖して行う。途中の交差点では盆踊り大会が行われて、最終的に少し高台にある神社まで行き花火を見る、というのがこの祭りの基本的な楽しみ方になる。
 出店も相当数出るからあんまり食べ物に困ることはないし、だから一人で来ても十分楽しいものだったりもする。
 まだ祭りは始まっていない。にもかかわらず駅周辺にはたくさんの人がいて、そしてそれが独特の雰囲気を醸し出している。高揚感が伝わってくるようだ。
 そしてそんな中、俺は航輔を待っているわけだけど、やはりまだ三十分もある。早く来すぎたかもしれない。時間を潰そうにもどこもかしこも人だらけでやはりぼんやり立っているしかないようだ。
 しかし、こんな中ではそもそも航輔と合流するのも難しい。せめて航輔の家で合流してから来るべきだった、と今更ながらに後悔していた。

 17時13分、鎌橋駅駐輪場。いつもはそこまで混んでないはずの駐輪場が今日は自転車で一杯になっていた。運よく空いた場所にすべり込ませていなければ今頃どうなっていたことやら。本来なら17時ちょうどにはもう合流している予定だったのに。
 どうせ世界のことだから30分前には来ているだろうと思っていたが、まさか俺の方が遅れるとは思ってもみなかった。どれもこれも駐輪場のせいだ。
 とはいえ本来の集合時刻は30分なわけで、一応そういう意味で言うなら遅刻ではない。が、今日は一応特別な日である。世界から行きたい、と誘われて行くデートは今日が初めてだからだ。
 駐輪場から駅前方面への道は、まばらではあるものの人がいる。それでも普段は全くと言っていいくらい人が通らないような場所だから、駅前まで行くとどれほどの人がいるのか推測さえできない。
 けど。一瞬だった。改札口のすぐ隣、券売機が置いてある。そのすぐ近くの柱に、凭れかかるように立っていた。時折あたりを不安げな表情で見渡しているその姿は、まさしく俺の恋人の姿だった。それよりも、普段とは違い浴衣を着ていることが俺は驚いた。
 今日もあいつは普段着で来るんだろう、と見越して俺は普通にラフな格好で来たのに。とまあ、そんなことを考えていても始まらない。とにかくあいつと合流しないことには。俺は駅の改札方面に、足を進めた。徐々に近づいて行くにしたがって、明確に世界の姿が見える。制服姿とも私服姿ともまた別な雰囲気を纏っているようだ。
 そしてある程度まで近づくと、向こうも俺の姿を認識したらしく、一気に安堵の表情を浮かべて、俺に向かって笑いかけた。そして、人の波を縫うように歩いて。
 「よぅ。……結構待たせたみたいだな」
 「そーでもねーよ?」
 けど、夕方とはいえ昼間の熱気がまだ残るこの場所に立っているのは少しきつかったのか、若干の疲弊が見て取れる。普段から進んで外出なんてしないやつだけど、だからこそ俺は今日の誘いがうれしかったといえる。が、あんまり無理はしてほしくないとも同時に思ってしまう。
 「浴衣……着てきたのか?」
 「今日くらいならあんまり目立たないかなー、なんて」
 むしろ余計に目立ってるんじゃないかと俺は思ってしまうわけだが、世界はそんなことは露とも思ってないらしい。
 「けっこー似合ってる、ぞ」
 さすがに素直に可愛い、とまでは言わないものの、それはそれで事実だった。世界は照れ隠しなのか顔を伏せてしまい、
 「ありがとな」
 とだけ、言った。……。俺はこの時点でもう今日来た甲斐があったと思ってしまうが、よくよく考えればまだまだ何も始まっていないのである。
 「じゃあ、そろそろ……行くか」
 そこで俺は、あまりに人が多いから、はぐれることを心配したのだろう。それもきっと無意識のうちで。気が付けば世界の手を引いて、俺は歩き始めていた。

 俺は一体、何が起きているのか理解ができていなかった。気づいたら、俺の左手は航輔に握られてて、そして航輔はそれを全く意に介さずに歩いていた。俺と航輔の関係的には間違ってはいないはず。けれど、こんな人の多い場所で……。
 とは思うものの、そんなことを言ってたら関係が進まないのもわかってるし、むしろここまで人が多いと目立たないんじゃないだろうか、と思うことにすれば幾分か気分はまぎれる。
 「にしても、いつの間に浴衣なんて買ったんだ?」
 「今日、かな。着替えは駅のロッカーに入れてきた」
 せっかくだから航輔を驚かせてやろうとしていたわけだが、思った以上に成果をあげてしまったらしい。こんなことになるとは思ってもみなかった。
 駅前から神社に続く大きな道。巽谷通りという名前のその通りは、鎌橋で随一の広さを持つ。駅前交差点から神社の正門入口までおよそ1キロ続き、今日は出店と人でひしめきあっている。
 「言ってくれたら俺も一緒に行ったんだがな」
 「お前に選ばせたら面倒なことになるだろ絶対に」
 駅前の交差点から巽谷通りに入る。祭りのイベント自体は18時開始なのだが、もうすでに出店の営業自体は始まっていた。いろんな匂いや音が入り混じる、普段ではありえない光景。そんな雰囲気が、俺は好きだ。
 「せっかく浴衣着てるんだし、お面でも買うか?」
 航輔が指さしたのは、セルロイドのお面が売っている店。確かに浴衣とそれは夏らしさ全開なのかもしれないが俺は恥ずかしいからそーいうのは買いたくない。うん。ただ航輔が言っても聞かないやつだってことは分かってる。
 結局キャラクターものではなくパンダで妥協したわけではある。一番目立たなさそーな色合いしてたからこれならいいや、と諦めた感は漂っているけれど。とりあえずはつけてみたものの違和感が大きい。けどなんだがお祭りを楽しんでる人、みたいに思えてくるとなんだか悪くない気もしていた。
 隣で歩いている航輔と、付き合いだして4か月くらいになる。結局付き合っている間に何かあったかと言われれば特に何もない。していたことと言えば友達の延長線上にすぎなかった。だから俺はこのままでいいのかと思い悩んでいたこともあったけれど、結局は無駄だと思うようになった。
 だって、悩むだけ悩んでそれでも行動に移せないことばかりで、何もできないなら何も考えないほうがいいと結論付けても、それは当然のことで。
 最終的には、航輔が好きだという気持ちさえ消えなければ、なんでもいい。俺はそう思うようになっていた。
 「金魚すくいねえ、俺は金の無駄だと思うけどなあ」
 「いいだろ、一回100円だし」
 そんな時にたどり着いたのは、金魚すくいの店だった。俺はこーいうのは得意じゃないから、あんまり乗り気ではないが、航輔が一度やってみたいらしい。それなら、と俺も一回だけ参加したんだけど。
 「……」
 まさか水面に入れた瞬間に金魚に突撃されて破れるとは思わなかった。一体どれだけ強いんだこいつら。店のおっちゃんはおまけでくれると言ったけれど、育てるつもりもないので俺はやんわりと断った。ところで航輔と言えば。
 「……」
 こっちはこっちで真剣な目つきで水面を見つめていた。見るとすでに一匹すくっていて、それでもなお破れていない。もしかして金魚を飼いたかったのだろうか。……さすがにそれはないと思うけど。
 ただ、一つ言うとするなら。真剣そうな表情は、やっぱ見蕩れるもんで。正直に言うとかっこいいなあ、って思った。元がいいというのもあるだろうけど、なんだかんだ言って全力で物事に取り組んでいる姿はやはり人を惹きつけるなにかがある、と思う。
 結局航輔も金魚は返して、また二人で歩く。もうイベントの類が始まっているのか、人の密度も薄くなってきた。けど、それでもまだ俺は、航輔と手を繋いだまま。
 「金魚、いらなかったのか?」
 「飼うつもりは別にないからな、楽しければそれで」
 楽しければ、それで。俺の中でその言葉は結構響いた。もしそうだとするなら、俺と一緒にいることも楽しいと思ってくれてるのかなあ、って。実際に聞いたわけじゃないからほんとかどうかはわからないけど。
 俺にはそれだけで、なんとなくだけど嬉しいことだった。

 珍しくケバブの屋台があった。だから、その近くでちょっと休むことにして。今現在はすぐ近くの交差点でミニライブが行われているらしく、一種の空白地帯みたいに、あまり人がいなかった。
 「神社まで、あとどんくらいだ?」
 「まだ半分、ってとこだな。でもまだ19時過ぎだぞ」
 買ってきたケバブを世界に渡して、二人並んで設置された椅子に座る。だんだん薄暗くなってきて、夜の帳が下りてくる。花火大会は21時目前から。まだまだ時間だけはたくさんある。
 「……疲れたか?」
 「ぜんぜん」
 無理はしてほしくない、と思うものの。普段は真っ先に『疲れた』が出てくるような奴がそういうことを言っていると、なんだが俺も突っ込んではいけないことだと思ってしまう。
 「なんなら、今から帰ったっていい」
 「……なんだ、おめーが帰りたいのか?」
 若干、語尾が荒い。怒っている。そりゃあもう完膚なきまでに。やっぱり、世界相手に心配は無用だった、ということだろうか。いや、むしろ。そうまでして俺のことを想ってくれてるのだ、と考えることにしよう。
 「そんなわけないだろ、冗談だ冗談」
 「またお前はそういうこと……っ」
 「俺だって、お前と一緒に居たいにきまってるだろ?」
 それっきり、世界は真っ赤になって黙り込んでしまった。我ながら気障ったらしいセリフだとは思うけれど、それでもいい。それが本音だって、きちんとわかってるから。俺も、多分、世界も。
 完全に日は暮れた。けれど道に沿うように設置された提燈から発せられる光のおかげで暗くない。むしろその光の色合いが祭りの雰囲気と妙に合っているような気さえする。
 そして。時間がゆっくり流れていたのか早く過ぎ去ってしまったのか。そんなこともわからないまま、花火大会の時間がやってくる。
 神社の中でも隅の方に陣取って、一発目の三尺玉が打ちあがる時を今か今かと待ち受ける。祭りの最終到達点としてはこの神社が適切なのだが、もっと高台にある鎌橋森林公園の方が花火を見やすい。だから、神社にいる人影はまばらだ。
 それでも俺たちがこの場所にいるのはまあ、世界を気遣ってのことである。直接言うと怒るから、移動が面倒だ、とかもっともらしい理由をつけたけれど。
 けれど、理由がそれだけというわけでもない。ここから先は、俺の単なる目的、といった方が分かりやすいのかもしれないが。とにかく、今は花火が打ちあがるのを二人そろって、待っていた。

 轟音、閃光、歓声。この3つがひたすらに繰り返される空間。様々な色で彩られているこの夜空は、とても綺麗だ、と素直に感じた。その迫力は普段体感しようにもできないものだから、なおさら。
 これで今日一日が終わるのか、と思うと悲しいものがある。儚く消えていく花火とともに、今日一日も終わる。まだ夏休みは始まったばかりだし、航輔ともまだまだ一緒に過ごせる時間はたくさんある。けれど、今日という日はもう戻ってこないのだ。
 けれど、まだ終わったわけではない。花火は打ち上げられては消え、打ち上げられては消えを繰り返す。何か、何かできないだろうか。別に形として残らなくてもいいから。航輔と、今日の出来事が記憶に残るような、そんなことが。
 普通に考えて、思いつく気がしなかった。だから、何も見つからないときは、それでもいい。だけど俺だって、航輔をただの友達だって、そう思ってるわけじゃない。
 そして、最後の錦冠が、夜の空に消えてなくなった。一気にその場の空気が弛緩して、今までみんなが花火と言う作品を鑑賞していた状況から、一変する。名残惜しむ者、帰途に就く者、次の予定に向かって進む者、様々だ。
 その中で、航輔はまだそこに花火が花を開いているんじゃないかと思っているように、漆黒の空を見つめていた。
 「……そろそろ、帰るか」
 そして、航輔はぽつりとこぼす。ああ、と俺はその言葉の意味を悟った。航輔も、まだこの場所に居たいんだ、と。その理由も一緒に、俺は分かったような気がした。
 「ちょっとだけ、待って」
 航輔は身長が高いから、俺と同じ目線になるためには座ってもらうしかない。そして今、花火を見るために地面に座っている状態だ。これなら。
 「ん、どうかしたのか?」
 気だるそうな表情を浮かべて、航輔は言った。今日が終わってしまうという喪失感なのか。けれど、今の俺にそんなことを気にしている余裕はない。なぜなら航輔がこっちの方を向いたから。
 そこから俺がしたことと言えば、単純明快。俺も航輔の方を向いて、そして。
 「―――!」
 口を重ねた。言葉に直すならただそれだけだ。そこにある想いや、かなりの量の決意を無視して表現するなら、の話だが。
 時間に直せば一瞬。だけどそこにはいろんな気持ちが渦巻いていたと思う。だからこそ、その一瞬は俺にとって永久にも思えるくらい長い時間だった。
 「お、お前……」
 さすがの航輔も驚いたらしい。それはそうだ、俺だって自分でこんなことをするとは思ってもみなかった。俗に言うところの勢い、というやつ。後悔はしてない。
 「わ、悪ぃ……勢いで」
 雰囲気にのまれた、と言ってしまえばそれまでだ。だけど俺は勢いが悪いこととは言い切らない。むしろ、そういう後押しがあるからこそ、というのがある。
 「俺と同じこと……考えてたんだな」
 考えていたわけではないけれど、最終的にはそうなるのだろう。だから俺は、笑いながら言ってやった。
 「じゃあ、もう一回」
 夏の夜は、短いようで長い。そんな日の話。
 

- the end -

2012-07-15

どうも、夏です。何か月ぶりかの更新です。
とはいえ書き始めたの昨日の昼なんですけどね。
そんなことはさておいて、なんだかんだでこんなかんじです。