八月の海

 夏が来た。うっとうしいくらい暑い奴に、うっとうしいぐらい俺に構ってくる航輔。ただでさえ暑くてイライラしてるんだからこういうときくらいほっといてほしい。
 そんな季節は冷房でもかけてだらだらしてればいいじゃんと思うけど、俺は生憎冷房の効いた部屋にいると頭痛を起こしてしまう。なので俺の夏は扇風機と苦楽を共にするのが常だった。慣れてると言えば慣れてるんだが、暑いもんは暑い。
 俺のように毛深い犬獣人なんてものは夏にとにかく弱くて夏休みは毎日日中はぐったりしている。反対に龍人がどうなのかはしらないが、むしろ夏のほうが元気なんじゃないかと思われるくらい活発だ。鎌橋にもやたら遊びに行っているらしい。
 俺にもやたら出かけないかと聞いて来たりしたが、俺からすれば太陽の下に出たくない。航輔も諦めたのか、家に直接やってきて俺に構うようになってきた。が、なんだか今日は様子が違っていた。
 「海に行かないか」
 「は?やだ」
 言うに事欠いて何を言い出すかと思えば。ここから海に行くまでどうしなければならないか考えるだけで面倒だ。とりあえずバスで鎌橋駅まで出て、そこから青羽根海岸行の電車に乗らないといけない。そしてそこから歩きだ。どう見積もっても一時間以上はかかる。
 「即答とかやめろよー」
 「確か最高気温とんでもないことになってただろ」
 35は軽く超える数字になってて、最悪打ち水くらいはしとかないとなーでも暑いなーと思っていたところだ。とはいえ何度であろうと今月は外に出たくないんだけど。
 「だから海に行くんだろ、楽しいぞ」
 「そんなに行きたいなら俺とじゃなくてもいいだろ」
 それを言った時、なんか航輔は微妙な顔をした。怒ってるのか傷ついてるのか。まあなんというか、おおよそいいことではなさそうだ。
 「お前と行かなくてどうしろって言うんだ、俺に」
 「……」
 まあその、とにかくまず肩を掴んで必死に訴えかけてこなくても、お前の気持ちは伝わってきたから。ただそれでも行くかどうかまだ明確に答えは出せなかったものの、もうこれは仕方ないか、という方に傾き始めていた。
 あんまりに出不精な俺を気遣った結果なのだろうと思う。まあでも、海に行くということは水着にならないといけないわけで。俺の貧相な体をわざわざ晒したくないとつい思ってしまうのは致し方ない。俺にだってプライドと言うかそういうのがないわけじゃない。
 まあ、目の前のこいつにとってはそんなことは些細なことで。どうでもいいことなんだろうと思いながら。確か家にあるはずの、水着の場所を思い出していた。あと願わくば曇りくらいにはなって過ごしやすくなってほしい、とも。
 ただそんな願いは空しく、頂点まで達した太陽は鬱陶しいくらいに照りつけてくる。麦わら帽子も気休めくらいでしかなかった。そんな俺の隣を歩いている航輔はなんでかしらないが平気そうで。俺からすればイライラしてくる。
 「……なんでそんな平気そうなんだよ」
 「いや、そんなことはないんだが」
 にしては随分と楽しそうに歩いている。俺だって海が嫌いってわけでもないからその気持ちはわからんでもないけど、この暑さだと海が見えてこない限りそんな気分にひたれない。
 「俺倒れるかも」
 茹だるような暑さ、とはよく言ったもんだとおもう。湿度が高くて暑い空間がどこまでも続いて、さながらサウナのようだ。
 「それはちと困るな」
 「いや、冗談だって」
 いくら炎天下とはいえ、まだ家を出てちょっとしか経っていない。そんな程度で倒れてたら俺は一体どれだけ貧弱なんだっていう話だ。
 「お前が言うとあんまり冗談に聞えないからなぁ」
 そりゃあ航輔なんぞにくらべたら俺なんて全然貧弱なんだけど。暑さも寒さも耐性があるすごい奴だし。俺からするとあり得んくらいなのだが。こんなところをいつまでも歩かされればいつかは倒れる。それは普通だ。
 「ああそうですか、っと。やっぱ日陰は涼しくていいな」
 バス停にたどり着く。中は陰になっていてやはり涼しい。誰が掛けたのかよくわからないけれど風鈴もまた涼しさを演出するのに一役買っている。
 「ほう」
 「お前ちょっと近いぞ」
 「涼しいならいいかと思って」
 確かに夏に入ってくっついてくる航輔を邪険にしたことも何度かある。嫌だって言ってるわけじゃなくて、暑いからそういうのは勘弁してくれと言っているのだ。俺は悪くない……はず。
 「……」
 「お前最近俺と居るといっつもイライラしてるからな」
 イライラしてる対象は暑さであって航輔ではないのだが、やはり航輔はそうとらえてしまうのだろう。俺も多少はわがままだったのかも。というより、夏休みに入ってから、自分のことしか考えてなかった気がする。
 「……バスが来るまでな」
 「分かった」
 多少重たくなったような気がしたけど、そんなことで航輔が嬉しく思ってくれるのなら。まあ安いもんだと思う。
 そしてそれから結構速い段階でバスがやってきた。なんだか名残惜しそうな航輔を無理矢理引っぺがし、バスに乗る。こいつちょっと甘やかすとずるずるいっちゃうタイプだからな。あと周りの目を気にしないところも悪いところな気がする。
 乗り慣れたバスで、最寄りの鉄道の駅へと向かう。バスの中は涼しかったけれど、俺には多少の頭痛がきてしまう。けれどもう、これくらいだったら慣れてきたけど。
 「……はー」
 「? 頭痛いのか?」
 なんかちょっと凭れるものが欲しいと思って、凭れた先が航輔だった。当たり前と言えば当たり前の話なんだけれど。なんか誰かの体温に触れると少し痛みが和らぐような、気がする。
 「ちょっと寝る」
 鎌橋駅前までおよそ20分。そこからまた電車だから、まだまだ続くんだろうけど。普段ならちょっかい掛けてきたりするはずの航輔も、今回ばかりはおとなしかった。次回からこの手を使えばいいのか、少し学習した。

 「……死ぬ」
 「いや、いくら暑いからってそう簡単に死なないだろ」
 駅前は村に居た時よりいくらか暑い。コンクリの輻射熱だったり、車の排熱だったり。俺はもう倒れそうなくらいふらふらになっていた。なんだか遠くに蜃気楼も見えるような。
 「お前はこの期に及んでも平気そうだよな。羨ましい」
 「暑いと思うから余計暑いんだ」
 「そんな禅問答みてぇなのはどうでもいい」
 とにかく涼しい場所へ。日陰に入ればまだマシだ。青羽根海岸方面への電車はあんまり本数がないので、少しだけ待ち時間ができる。俺は近くのベンチに座ってぐたーっとしていたんだけど。
 「ほれ、飲め」
 よく冷えたスポーツドリンクを俺の首筋に当てながら、航輔は言った。なんというか、細かい気配りがちゃんとできる奴だ。
 「……悪いな」
 「何がだ?」
 俺の隣に腰を下ろした航輔に俺は申し訳なさそうに告げた。折角連れ出してくれたのになんか世話掛けてばっかりな気がする。俺が甘えがちっていうのもあるのかもしれないけれど。なんだかんだで航輔は俺に甘いから。
 「なんか、こんなんで」
 「もうちょっと頑張れよ、とは思うんだけどな」
 列車の接近放送が入る。もう少しで電車がやってくる。それでも航輔は、俺を見つめたまま、言った。
 「それでもお前と海に行けて嬉しいから」
 夏休みに入ってから、こんな風に楽しそうな航輔を見たのは初めてだった。俺は自分のことで、っていうか暑さにだらけて全然構ってやれなかった。そのせいだったのかもしれない。普段だったら航輔も押してくるんだろうけど、体調悪そうな俺を見てなんとなく触れづらくなって、という感じだったのかも。
 「……あっそ」
 そんな感じなのに、それでも俺と出かけることができてうれしいと言ってくれたことが、俺にとっても嬉しかった。
 そこから一時間ほど電車に乗ってようやく青羽根海岸駅に着いたのが午後の二時過ぎ。それでも暑いし十分海に入れる時間帯なのだが、今の俺にはそこまでの気力が残ってはいなかった。なので俺は砂浜に座ってるから勝手に行ってこいと言ったのだが、航輔も結局俺に合わせて海に入らないことにしたらしい。
 「お前さ、ここに何しに来たかったんだ?」
 「お前と出かけたかっただけだ」
 そのためだけにわざわざ遠出をするというのも理解に苦しむけど、七割くらい俺のせいだから何も言えないし、言わないけれど。普段いかないような場所に行けるのは、夏休みだけの特権だ。
 「お前も随分変なヤツだよな」
 「なんとでも言え」
 午後三時も近くなり、空の色も抜けるような青から徐々に色が変わりだしている。けれど依然泳いでいる人がたくさんいて、そんな中体操座りで俺ら二人は並んで座っている。なんだか浮いてるような気がしたけど、意外と海に入らない人もいるようだ。
 「俺みたいなのと付き合うの大変じゃねーのか?」
 飽き性で面倒くさがり屋で気まぐれで、そんなもう付き合いにくくて仕方ないであろう俺に対して航輔は頑張っていると思う。うん。
 「お前みたいなのが好きだからな、俺」
 「好みがおかしいんだな、よくわかった」
 変なヤツだなーと思いながら、俺のことを好きになってくれる奴がいてだから俺はなんとなく幸せなんだなと感じた。そしてそういう気分だったから、俺はそっと航輔に寄り添って。こんな一日も悪くない、って言ってやったのだった。
 

- the end -

2013-05-04

5月なのに8月の話を。
夏で多少の倦怠感を漂わせるものの、結局いつも通りの二人なのでした。