episode01-1 夢で見た出来事

 穏やかな夕焼けが、村を紅く染め上げていた。もともと空がどのような表情を浮かべていても映える景色を持っている場所だったが、一段と濃い橙色の空は綺麗だと思える。ただ、村に住む子供たちにとってそれは、見慣れた風景にしか過ぎないのだが。
 夕暮れ時の太陽が染め上げるのは空ばかりではない。太陽の光の届くありとあらゆる場所が同じような色に染め上げられる。そんな紅蓮の道の上を走っているのは、一人の少年だった。心配そうな表情を浮かべ、周囲を見渡している。どうやら人を探しているらしい。
 探しているのは、その日一緒に遊んでいた同じくらいの年の少年だった。午前中から一緒だったにもかかわらず、解散する間際に居ないことに気が付いたのだった。理由はわからない。ただ、いつの間にかいなくなっている者はたいてい家に帰っているので皆心配はせずにさっさと帰宅してしまったのである。かくいう少年自身そう思っていたが、なかなか不安は払拭できなかった。
 たまにいるのだ、好奇心をそそられて付近の森に迷い込んでしまう子供が。彼がそういう例でないとは限らない。もっとも、本当にそうだった場合少年ではどうしようもなかったのだが。
 けれどそれは杞憂に終わる。森の入口に探し人を見つけたからだった。全身が強張っていたようで、一気に力が抜ける。なんだ、こんなところにいたのか、と。木に凭れかかるようにして座っていた。どうやら眠っているらしい。ここで昼寝をしていたらいつの間にか寝入っていた、とそんなところだろうか。
 ゆっくりと、少年は忍び足で彼に近づいた。こちらの気配に気づくことはない。それはそうだ、いつから眠っているかはわからないものの、深い眠りでなければこんな時間まで起きないなんてことはない。
 そっと顔を覗き込むと、彼は緩やかに、穏やかに、そして気持ちよさそうに眠っていた。そこで少年の足がピタリと止まる。止めようと思って止めたわけではない。気づいたら立ち止まっていた。彼の寝顔を見ていると、なんだかよくわからない気持ちがこみ上げてくるのだ。
 けれどそのまま寝かせておくわけにもいかない。このまま夜になってしまえば、親が心配して探しに来る。その前に家に帰るよう促さなくてはならない。仕方のないことだ、と自分に言い聞かせる。
 少しの間なんと声をかけて起こそうか迷っていたが、決意を固めると思い切って彼の肩をゆすった。
 「―――

 勢いよく、起き上がっていた。体全体、特に脇腹の辺りが猛烈に熱を帯びている。なんて不吉な夢を見てしまったのだろう。これ以上続きをみていたら一体全体どうなっていたのだろう。そう思った。
 脇にある目覚まし時計に目をやると、まだ6時半を回ったところだった。まだ眠って1時間半だ。それなのに起きだすとはなんと運が悪い。そもそも見た夢からしてついてないが。
 そんなことを思いながら、無駄に大きな自分の尻尾を抱きかかえ、松木島世界は再び寝ようとしていた。悪夢と呼ぶべき興奮剤は確かに目覚めを促したが、それ以上に睡眠が足りていないのだ。再び瞼が重くなってくるのは必然だと言える。
 しかし、一度意識が覚醒まで達してしまうと再び眠る準備が整うまでそれなりに時間がかかってしまう。そうなるとなぜこんな夢ばかり見るようになってしまったのか、自問自答が始まる。
 これまで幾度となく世界を悩ませてきた悪夢。それを見る理由は分からない。でもきっとそういうことなのだろうと感じることはある。
 「死にてえ……」
 虚空に消えた独り言。本当にそう思ったのではなく、あくまで口をついて出たような言葉。それは徐々に明るくなり始めた外の景色に吸い込まれるように消えていった。
 黎明。この時期は間もなく太陽が本格的に昇りはじめる。世界の眠っている部屋は障子を挟んで縁側が存在し、そこの雨戸は本格的な冬でもない限り閉めていない。今は三月も下旬になろうとしている頃合いで、少しずつ暖かくなり始めているのだからなおさらである。雨戸の手前のガラス戸は閉めているが、光を遮る役割を持っていないので、明るくなると部屋にも光が入ってくる。ただそのような時間帯に眠りに入ることが多い世界にとってそれは問題ではないのだが。
 いつからだろうか、死ねばきっと楽になる、と思い始めたのは。明確に生きるのが辛いわけでもない。それでも確かに、生きる理由はないような気がしていた。いつか人は死んでしまう。要はそのタイミングが早いか遅いかでしかないのだ。
 と、そんなことを考えても本気で死ぬ覚悟を持っているわけでもない。言うならば目先の眠気に負けてしまう程度でしかないのだ。結局世界はそんなこともまどろみの中に混ぜ込んで、溶けるように寝入ってしまった。

 その日、御堂航輔は暇だった。正確に言うなら暇にされたというべきだが。赤い髪の毛が風に揺れて少し頬を撫でる。
 昼過ぎの海城村。ほとんど人はいない。ただ突き抜けるような水色の空と、その下に広がる様々な緑色だった。自然の風景に目がない者がいるなら興奮するような景色なのだろうが、生憎航輔にとってそれはとても見慣れたものでしかない。だから立ち止まって風景を眺めたりもしない。
 彼がなぜそのようなことをしているかと言えば、要するに暇つぶしである。村の景色は見慣れるを通り越して見飽きてすらいたけれど、村の中を徘徊することは嫌いじゃなかった。要は散歩しているのである。
 今日の予定は鎌橋に中学校時代の友人と共に遊びに行く予定だったのだが、昼前の電話にてその予定が消滅した。いわゆるドタキャンである。急にすることもなくなり、昼食を食べてから暇になったのでそのまま村唯一の店に雑誌を買いに行くついでに散歩、といったところだ。
 村にある唯一の店、とはコンビニのような品揃えを持っているもののいかんせん古めかしい。弁当やおにぎりの類は店主の手作りだし菓子類はむしろ駄菓子が多く、日用品に至ってはわざわざここで買うような物好きはいないレベルである。けれど雑誌類の入荷だけは早いという不思議なこの店。呼び方は人それぞれだが航輔は『コンビニ』と呼んでいる。村のコンビニ、と言えばだいたい通じるからだ。ただし年中無休とはほど遠いのだが。
 普段は鎌橋まで行って雑誌を買ってくるのだが、今日は今朝から懐かしい気分になっていたので、近いと言うこともあってこっちに行くことにしたのだ。  けれど最終的に目的は暇つぶしなので、最短経路で向かうようなことはしない。ぐるりと村を一周したところで一時間程度にしかならないのだから、それからでも遅くはない。
 この海城村、人口は150人程度の小さな村である。主な産業、と言ったところで畑作、それも米や野菜しか作っていない。他は隣の市である鎌橋市に向かい、そこで働いている。隣の市、と言っても自転車で30分ほどかかる。けれど村に娯楽がほぼない現状ではそれでも問題はない、といったところだ。一応10分程度で鎌橋についてくれるバスもあるにはあるが、時刻表通りの運行がされてない上に一日5本くらいしかないのだ。それなら自転車で行ったほうがマシなのである。
 そんなごく普通の田舎村に住んでいる航輔は、この村のことが好きだった。住んでいるから愛着が湧いている、というもっともらしい理由が一つ。他にも、理由は存在しているのだが。
 海城村は、隣に鎌橋市があるもののほかに隣接する都市はない。鎌橋側と反対側は山が広がっている。その山は一応海城村の土地ではあるがそこに住む物好きはいないために最終的に村の人が住んでいる場所は山の麓の部分しかない。
 そんな村において限られた場所でさらに家が集まっている集落があるのだが、そこから少し外れた場所。そこにも家がある。家というには少し小さい印象を受けるものの、やっぱりそこは家だった。そこに住んでいるのは航輔の幼馴染。
 (あいつ、起きてるんだろうか)
 時刻は昼過ぎ。普通なら誰しも起きて活動しているような時間帯である。ただ、今は中学校を卒業して春休みに入っている。狂った生活リズムを贈っているのなら、今の時間帯に寝ていてもおかしくはない。つまるところ、この家に住んでいる航輔の幼馴染は、そういう狂った生活リズムを持っている、ということになる。
 集落を抜けたあたり。そこから上り坂に切り替わり、そこを上った先にその家がある。この上り坂のせいでその家だけが隔離されていると言っても過言ではない。その坂の下で、航輔は珍しいものを見た。
 「にゃあ」
 黒猫、だった。全身が真っ黒、そして瞳だけが金色だった。正確には、片方が金色でもう片方が銀色。オッドアイである。たまに野生動物などを見かけることもあったのだが、猫、それも黒猫を見ることは航輔も初めてだった。
 その黒猫は航輔と目を合わせるとそのまま坂を駆け上っていく。そのしなやかさに見蕩れているうちに航輔はなにか不吉なことが起きるような気がしていた。確かに黒猫と言うものは不吉な存在だ、と何かの話で読んだことはある。けれど、それが一体何を意味しているのか。それは黒猫が駆けて行った方を思えば簡単に察しがつく。
 ―――世界の家だ。
 その方向にあるものはむしろそれしかない。航輔は黒猫を追いかけることにして、走り出した。できればそれがただの思い過ごしであればいい、と願いながら。
 

- continue -

2012-02-25

そんなこんなで新しいサイトにて初めて乗っける話。
いろいろと伏線張ってたり張ってなかったり。
とはいえ簡単にどこがどう伏線なのかわかる気もするのでその辺は今後を楽しみにしてくれたらいいなあと思います。
新しい積乱雲をどうぞ。