ここ最近の中で、一番いい目覚めだった、と言える。なんだか良い夢を見ていたと思ったけれど、最終的に目が覚めた瞬間にすべてを忘れていた。けれど、それでいいと思う。悪夢みたいに覚え続けるより、ずっと。 いつもなら少し肌寒さを感じる朝早くに、世界は目を覚ました。けれど今日は何か違う。むしろ温かいくらいだ。理由なんて、考えるまでもない話だけれど。とにかくその日は、悪夢を見ることなく、とてもいい気分で目が覚めた。 いや、目が覚めた、というのは言い過ぎかもしれない。とにかくいつも以上にいい気分でまどろんでいる。多分まだ朝早い。それならもう一度、寝たところで問題はないだろう。少しだけ開いた目を、再び閉じ、温かさを求めて再び布団にもぐりこむ。 「おい、そろそろ起きろ」 そんな声も、何もかも白色の景色に混ぜ込んで。まどろみの海に溶けていこうとしていた。陽だまりみたいなこの場所で、眠れることが素晴らしい。まだここで、眠っていたい。穏やかな日差しが降り注ぐ温かな海に漂っているみたいに。 「……まだ、寝るー……」 「もう9時だぞ、いい加減に起きろ」 午前9時、という時間は、この休みの時期には微妙な時間帯だ。遅いとも早いともいえない。人によって変わってくることなのだろうが、世界にとっては早い、というべき時間だ。だから、まだ眠い。引きずるようにしつこい眠気をいまだに払えず、世界は航輔に顔を抓まれても起きたくなかった。 と、そこで気が付いた。なぜ航輔がここにいるのか、と。 「……!」 慌てて目を開けるとそこには、至近距離に航輔の顔。そういえば、と思い出した。昨日の夜悪夢に目が覚めた時にいろんなことがあったような気がする。 とたんに、気恥ずかしさが込み上げてきた。まるで昨日の夜の航輔は、自分の父親のようで。明確に何もかもが一緒、というわけではないけれど、纏っていた雰囲気、かけてくれた言葉。そして何より、世界を何より心配してくれるあの態度。それだけは間違いなく、世界を家族として、なんの見返りも求めずにひたすら心配していた。 そんな、距離感を図り損ねてしまった航輔に、抱きしめられてることで。気まずさを感じてしまった。 だから。慌てて世界は、航輔の腕から抜け出した。 「どうした?」 後悔と自責の念を一瞬垣間見たような気がするけれど、おおむねいつも通りな航輔がいた。まるで浅いところと深いところで流れの速さが違う川みたいに。心の奥底に、きっと別の感情が流れているんだろう。 「あ、い、いや……ごめん」 そこから世界は起きだして、航輔に背を向けるように、洗面所へと向かった。昨日の夜、あるいは今日の深夜のことかもしれない。けれど、あの告白じみた想いの吐露は、さすがに春の夜の夢ではないだろう。それで流してしまうには、あまりに航輔が報われない気がした。 むしろ夢であればいい、とさえ思うけれど、さっきの航輔の行動を見る限り、もうそれは夢ではない。よしんばあれが夢だったとしても、航輔が世界に対して抱いている気持ちはもう明らかで。どうしようも、なかった。 世界は今まで、告白なんてされたことはない。もちろんしたこともないし、同性からなんてなおさらだ。だから、あんなことを言ってきた航輔の気持ちまで想像することは出来ない。けれど、相当悩んだであろうことはなんとなく理解した。 世界はあそこまで誰かに好かれた、という経験がない。だからどうしたらいいのかもわからない。航輔にうっかりと背を向けてしまったのも、それが原因だろう。今までそんな風に航輔を見たことがないし、そもそも恋愛なんていう単語についてまじめに考えたことがなかった。せいぜいがゲームにおける疑似恋愛を、実際には起こりえない絵空事だ、ととらえる程度だっただろうか。 なのに。昨日の夜、それはいっぺんに押し寄せた。それは巨大な波みたいに。さまざまな感情が押し寄せて、押し流す。それについていちいち考えることなく、昨日の夜は寝てしまったから、深くまでは考えなかったけれど。こうしてよくよく思い出してみると、すべては納得できる。 航輔が世界の自殺を止めたのも。あれ以来遊びに誘うようになったりも。唐突の世界の誘いに簡単に応じたのも。全部世界が好きだったから。そう納得した。 顔が紅潮しているのがわかる。いくら水で冷やしたとしても、それは治まりそうもない。全部、航輔のせいだ。洗面台に手をついて、おとなしく待つしかない。一体、航輔の気持ちにどう答えればいいのだろう。答えが出ないとどこかで思いながら、世界は流れる水をただじっと見つめていた。 航輔は、朝ごはんを食べたのちに家に帰った。焼いた食パンと牛乳という手抜き以上に手抜きだけど。航輔の顔を見るだけでなんだか顔が熱くなる世界はあまり今は航輔と会話をしたくない。けれどそれもなんか嫌。最終的に自分がどうしたいのかがわからない。 だから、航輔が帰る、と言い出した時は行かないでと言いかけた。けれど、それは言葉にならない声にしかならなかった。良いのだろうか、という考えがブレーキをかけるのだ。航輔に対して何も言えない自分が、そんなことだけ言ってしまって、いいのだろうか。 とにかく、一度航輔が居なくなってみて、冷静に考えることができる。それは世界もよかったと思うし、航輔もそう考えたからあっさり帰ったのだろう。その気持ちを無駄にしたくはない。けどどうなるかはわからない。 とにかく、家にばかりこもっていても仕方がない。散歩とは言わないけれど、最近行った近くの高台に行ってみようと思った。理由は特にない。ただ少し、外の空気を吸ってみたくなった。これは航輔の影響によることだ。前の世界ではどうあっても外に行こうなんて考えなかっただろう。 「にゃあ」 「わり、ここあはちょっと留守番な」 心配はしていたけれど、世界にちゃんと懐いてくれた黒猫の頭を撫で、世界玄関に向かった。 でも、あまりそれが効果をなさないことも、ちゃんと予想していた。場所を変えた程度で解決するような悩みなんて、そもそも悩みじゃない。けど、気分を変えるという意味では成功したかもしれない。 「あれ?世界じゃん。何してんの?」 そんなところに現れたのは陸だった。世界がどうしようか困っているともうすでに世界に隣に、陸は座っていた。 「いやー、時々ここ来るんだよね、僕。一番景色いい場所だし」 それについては世界も同感だ。前は月を見るためくらいにしか思っていなかったけれど、それ以外で特に理由もなく来るのも、いいと思っていた。 「そうだなー……」 「どったの、元気ないね」 元気がない、というよりは慣れないことに戸惑っている、が正解なんだろうけど。これについて陸に話すべきか、少し迷った。当人同士の問題だろうから。けれど、考えていてもどうしようもないことなのもまた、事実。陸なら多分、理解してくれるだろう。根拠のない確信だったけれど、自分で抱え込んでしまうよりは、マシだった。 「……俺、航輔に……告白されたんだ」 「ふーん、案外早かったね」 「え?」 あっさりを通り越して当然のように受け入れた陸に、世界は逆に混乱した。なぜそんな風になるのか、世界にはまったく見当がつかなかった。 「なんていうか、見てたらわかるよね、それくらい」 「……」 それは他の人にもわかってしまっているということではないだろうか。それはそれで困った事態になりそうだった。 「まーまー、まだ航輔のおかーさんくらいしか気づいてないと思うよ」 やっぱり気づいてる人がいるらしい。世界は頭を抱えた。 「それは置いといて、なんて返事したの?」 「……まだ、してない……」 なんて答えたらいいのかわからない。どうしたらいいのかもわからない。八方ふさがりみたいなものだった。 「ふーん……で、世界はどんな気持ちなの?」 「……航輔をどう思ってるか、ってこと?」 どう思ってるか。一番大事な幼馴染だ。それは揺れないし、揺らがない。何より世界に対して真剣に向き合ってくれた彼を、無下にしたくない。ただ、それを恋愛感情を含んだ意味で好きなのか。それはいったいどうなのだろう。いざという時につい、頼ってしまうのは航輔だ。 「うん」 「……普通に好きだよ、でも」 「告白を受け入れるか微妙、ってこと?」 黙って世界は頷いた。正直なところを言えば、受け入れてもいいかもしれない、とまでは思っている。だけど同時に不安も大きかった。自分なんかが、航輔と付き合ってもいいんだろうか。それと、付き合うことでまた、距離感に変化が起きてしまうことが、怖かった。 「とりあえず、自分の気持ちをぶつけてみたらいいと思うよ」 「俺の……気持ち」 「そ、とりあえずはね。保留したいならそれはそれでいいし、航輔なら待ってくれると思うよ。まあ、あんまり待たせすぎるのも考え物だと思うけどね」 それくらいなら、世界にもできそうだと思った。もう少しだけ、自分の気持ちを整理する時間がほしかったけれど。それが終わったら、航輔に電話することにしようか。 「そうする」 「……やれやれ、世話が焼けるんだから」 陸は呆れるように言いながら、それでもなんだか、楽しそうだった。 |
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2012-04-01
一か月以上もの間書き続けてきましたけど、次でようやく終わりです。
まあ多分、世界がどう返事するかは分かりきってると思いますが。