第一話 「第一次接触@」

 もう二度と戻すことができないものがある。戻したい出来事がどれだけ重大な過ちであろうとも、時間の流れが逆流しない以上どうすることもできない。だから後悔することしかできない。そこからどれだけの時間を重ねようとも。

 4月に入り、徐々に冬の寒さを忘れるような時期になってきた。松木島世界にとって、突き刺すように寒い季節である冬はとても苦手だったわけであるが、これでようやく緩和されてきた。毛布みたいな毛が体を覆っているにもかかわらず厚着をしないと外に出られない彼は少し異常なのかもしれないけれど。
 それでも4月上旬で、朝は寒い。おまけに昼との温度差が大きい。朝の寒さをしのごうとすると昼に一枚脱がないといけなくなるし、昼を見据えた服装を選ぶと朝がつらい。そういうわけで、この季節の変わり目である時期も彼を悩ませるのだった。
 けれど、そんな彼も今日は高校の入学式なので、そこまで苦労することはなかった。せいぜいマフラーしてくのはこの時期として適切なのかどうか?について考え込んで時間を使ったくらいなものである。
 考えあぐねて、とった手段は相談―――航輔に聞いてみる、だった。この春休みに付き合い始めた世界の恋人なのであるが、この案件に関しては『どう考えても不適切』とばさっと切って捨てた。一応航輔も世界の寒がり度合いは知っているけれど、マフラーはやりすぎだと考えたのだろう。
 新しく買った自転車で、新しく通う高校へ向けて走る。航輔が居ないのは入学式で何か読まされるからとかなんとか言っていたからで、もうすでに向かってしまっているからだ。村の出口へ向かって自転車を走らせる。
 今日から高校生。しかも今まで通っていた村の内部だけじゃなくて、鎌橋市に住んでいる人が多数を占める、高校なのだ。閉鎖的な環境に慣れきってしまった自分がそこに溶け込めるかは不安で仕方ないけれど、楽しみでもあった。
 ただ、ひとつ。航輔との関係についてだけは絶対に知られたくなかった。だから航輔には事前に念押ししておいたし、陸にもきちんと言っておいた。『どうせバレるからどーでもいいじゃない?』とかいう意見が出たものの世界としては進んでばらしたくはないのだった。
 指定の駐輪場に自転車を止めて、受付と書かれた場所に向かう。今日からここに三年間、通うのだ。意味深な高揚感とともに自転車のかごに乱雑に放り込んであったカバンを持つ。すると。
 「いよう、今日も元気か坊主!」
 なんだか妙に元気な声が後ろから降ってきた。どうやら話しかけられているらしい。ここで世界は考えた。積極的に友達を作りたいならここで反応するのもアリだ。けれど、内容から考えるになんかおかしい。今日も、とか坊主、とかわけのわからないことを言っている。
 つまるところ、変な奴に絡まれた、と結論を出さざるを得ない。けれど、ここで無視するのは簡単だが実はいいやつなのかもしれないし、折角話しかけてくれたんだから、とそう思うことにした。
 「今日も、っつーか俺お前と今初めて会ったんだけど……」
 振り返ると、茶色の兎が立っていた。すでに制服を着崩してるあたり世界の苦手そうなタイプに分類されそうである。しかしそれも見た目での判断にしか過ぎない。
 「あー、そっかそっか!そーいう感じ? 俺の名前は東雲夕城ね、よろしく」
 この会話が微妙に通じてない感じは航輔を思い起こすけれど航輔の場合は聞いているけど聞かなかったことにしているだけであって、最初から聞いていない目の前の夕城と名乗る人物とは違うのである。
 「よ、よろしく……」
 うっかり差し出された手を握ってしまったところで、俺って流されやすいのかな、と世界は思うのだった。

 「知らない人ばっかりでもっと苦労するもんかと思ったらそうでもないねえ」
 過程こそ有耶無耶になってしまったものの、結果として夕城と二人で入学式の行われる体育館に向かう羽目になった世界なのだった。そしてその道中、夕城が独り言のように呟く。
 「鎌橋出身じゃねーのか?」
 ふと湧いて出た疑問。市内出身なら夕城の性格から考えてもそうそう知らない人ばっかりな状況にはならないと思うわけで。
 「まぁね。小学生の時はここに住んでたんだけど、中学はまるっと県外にいたからさ」
 その夕城の言葉に、何かの影が見え隠れしたような気がするけれど、世界はそのことについて聞くことは出来なかった。

 そしてその日はつつがなく終了していった。入学式の後にホームルームをして終わり、なのだから当然と言えば当然ではあるけれど。午前11時をもって終わったとはいえ、とりわけすることもない世界は家に帰ることにしていた。と、そこへ航輔がやってきて、
 「さっさと帰るぞ、今日は疲れた」
 航輔は今日の入学式で答辞を読んだはずだったが、やはり疲れたらしい。世界に至っては自分がその役割になったらどうなっていたかさえも想像がつかない。
 「そうだなー」
 と、そこで世界はもうほとんど人がいなくなった教室を見渡す。今朝体育館に行くまで一緒だった東雲夕城の存在を今思い出したのだった。同じクラスだったことについて多少落胆したものの、知り合いがいることは悪いことじゃない、と自分に言い聞かせていた。
 「? 誰か探しているのか?」
 きょろきょろと教室内を誰か探すように見回していた世界に、航輔が問いかけた。
 「東雲ってヤツ、確かこのクラスだったよな?」
 「あー、確か真っ先に出てった気がするぞ」
 今日初めて会ったはずなのに、もう顔と名前が一致しているらしい航輔だった。
 「ふーん……ま、いいか」
 もう帰ってしまったのなら仕方ない、と世界は席を立つ。航輔もそれに続き、教室から廊下に出た。
 鎌橋南高等学校。つい最近で来たばかりの私立高校なのだが、学費が安い上に設備がいいというので世界と航輔はこの高校を選んだ。単純に海城村から通うならここが一番近い、という理由もあったのだが。それだけの理由で学校を選んで合格してしまうところをみると、意外と世界は頑張れる人なのかもしれない。
 「なんだ、さっそく友達でもできたか?」
 「そうじゃないけど、ちょっと気になってなぁ」
 ちょっとだけ朝に話した感想は、一言で言うならバカというやつだろう。どちらにせよそこまで頭はよくなさそうな印象。
 「また明日でいいだろう、同じクラスなら話す機会はいくらでもあるし」
 「そう、だな」
 別段世界は夕城と仲良くなりたいと思ったわけではないのだが。どうしてだかほんの少しだけ、気になっている自分がいた。その理由はあくまでも、わからないけれど。
 「……」
 「……? 帰らねーのか?」
 「お、そうだな、とりあえず今日はお前の家にでも行くか」
 そして彼らのいた、一年B組の教室に、静寂が訪れた。

 「おーおー、まさかの松木島くんじゃないですかー!奇遇だねっ!」
 「なんでまだ残ってるんだよお前は」
 夕城の存在はとっくに頭の中から消滅させて、航輔と帰途に着くはずだった。にもかかわらず下駄箱で遭遇するとはどういう偶然なのだろう。ただの不運なのか、それとも。
 「……まぁ帰った、ってのはあくまで俺の推測だったんだが」
 「ほう、ってえことはなんだね、まさか君らの間で僕に関する話が出たってことかね?もしかして僕って人気者?」
 「さしあたってまずサインもらうか、それじゃあ」
 「おい航輔、助長させんな」
 どこからか生徒手帳とボールペンを取り出し始めた航輔を制止する。あまりにも意味のないやりとりだったからだ。
 「んー、この日のために一日100回自分のサインを書く練習はしたんだけどねえ。残念っ!」
 「お前の手のマメはそのために出来たんだな……」
 「ダメだこいつら……帰ろ」
 なぜかどうでもいい話だけで話が脱線していく。普段の航輔は全く人の話を聞かないくせに、とも思うがそれは基本的に世界に対してだけなのだった。少し、いや大分面白くない話なのだが、そういうところも含めて好きになったわけだからある意味、しょうがない。
 「まぁ待て、折角の機会だから話してくのもアリじゃないか?カフェテリアも使えると言っていたしな」
 カフェテリア。あろうことかこの高校は、学校内に喫茶店があるのだ。価格も学生の財布にやさしいものとなっているのだが……。
 「おぉ、いいね!僕もちょっとだけ入ってみたかったんだよ!」
 気が付けば流れはもう、そちらの方に傾いていた。このまま帰ると世界が言い出したところでこの二人は聞くことはしないだろう。一体何故こうも人の話を聞かない連中が周りに多いのか、世界は考えさせられる。
 「じゃあ世界、行くか」
 「れっつごー!」
 さりげなく世界の手を握って航輔は歩き始めたのだが、夕城は気にも留めていない。普通に考えて気づかれたらまずいので、世界は航輔にささやきかける。
 「……おい、わざとやってんじゃねーだろーな」
 「ん、あ。悪い」
 むしろ無意識でやっていたようであるが、果たしてそっちの方が良かったのかどうか。世界には全く分からなかった。
 「そういえば君ら仲良いよね」
 「……そりゃまあ、幼馴染だし」
 本来ならもう一つ付け加えるべき言葉があったのだが、さすがにそこまで世界には言えなかった。
 「ふうん」
 特に感想もなかったのか、それきり夕城は黙って歩き始めた。
 

- continue -

2012-08-18

そんなこんなで新しく連載を始めてみたり。
今のところ、前の話の後日譚って感じが強いです。
まあ、なんだかんだで彼らが好きなので。わたしは。
差し当たって一話目です。はい。