episode03-4 黒猫という刺客

 世話が焼ける。そう感じたのはほかでもない、黒猫自身だった。その猫は、人の言葉で物事を考えることができるし、声として発せられた言葉も認識することができる。いつごろから理解できるようになったかはわからないが、獣人が闊歩するような世の中で、そんな存在がいてもおかしくはない。それだけは事実だ。
 世界を見守るように行動している理由は簡単だ。昔この村で雨に打たれ、弱り切って行き倒れていたところを世界に助けられたことがあるからだ。その時は特に礼もせず、回復を待って姿を消したのだが。姿を消したといっても、もう世界は覚えていないだろうし、この海城村は案外居心地がよかったのでそのまま野良として生活をしてきた。
 けれど。ここ最近の世界の様子はどうにもおかしかった。ふさぎ込みがちだということはもちろん、時折死に憑かれたような表情を浮かべていたことを、気にかけていた。けれど猫ゆえにしてやれることには限界もある。話を聞くこともできないし、語りかけることもできない。
 だから正直、カッターナイフを持ち出してきたことについては焦った。けれど直接止めに入るわけにもいかない。世界の手からカッターナイフを叩き落とすこと自体は簡単だ。けれどそこからは何もできない。むしろ逆上させてしまうかもしれない。だからここから先は、言葉と言葉で語り合える者に頼るほかはない。
 自分らしくないといえば、らしくない行動だった。けれどやはり、死にかけていた自分を助けてくれた以上は仕方がない、と割り切るには、少しだけ。けれどそんなことは気にしていられない。
 たまたま坂の下のほうにいた人物をおびきよせることに成功したからいいものの、普段から人通りのないこの村においてそれは奇跡といっても差支えがない。
 そんなこんなで、もう心配はいらないだろうと思っていた矢先に、今度はバスに轢かれそうになっていた。ずいぶんと世話の焼けるニンゲンだ、と思ったものだ。これじゃあおちおち放浪してもいられない。というよりこんな何もない村でこの短期間に何度も死にかけるとはそうそうあるような体験じゃない。
 だったらもう、いっそ。猫は考えた。

 「?」
 後ろをついてくる猫を見て、世界はどうしたのだろうと思う。自分は獣人のくせにあまり動物にはなつかれないほうである。猫という自分勝手な生き物ならなおさら。だから最初は目的地が一緒なだけだと思った。けれど、違う。家に戻るルートを世界がたどる中、猫も同じようなルートをたどっている。
 これを偶然で済まそうとは思わなくなっていった。そして。
 「お前、どこまでついてくるんだ?」
 「にゃー」
 顔で方角を示したような気がしたので、そちらを見ると、そこには案の定世界の家があった。
 「……なんだよ、飼い猫じゃねーのか」
 「にゃ」
 まるで会話をしているかのような態度に世界はすこし、笑いが込み上げてきた。これはちょっと、面白い。そこから猫と適当な会話を繰り広げては面白がっていたものの、そこでようやく気が付いた。
 やっぱり、気兼ねなく会話できる相手がいるほうが、楽しいに決まっている。世界は昨日まで、それを手に入れかけていた。けれど、自分で突き放した。それは否めない。だから。せめて自分で全部話して、そしてそれから、航輔に謝ろう。
 素直にそう思えた。
 「ありがとな」
 「にゃっ!」
 それから猫を家に招き入れて、猫を飼うための買い物等をしに行きたかったけれど、その前に。これ以上は先延ばしにしないように。航輔にメールをした。電話でもよかったが、電話口で話をするくらいなら直接会ったほうが手っ取り早い。
 時間がかかるだろうと踏んでいたけれど、予想外にすぐ返ってきた。そしてもっと予想外だったのは。
 「世界ッ!」
 言葉すら出なかった。もともと世界は航輔の家に行く予定だったから、そういう意味では手っ取り早いかもしれない。けれど、こんな風に来るとはさすがに予想ができない。一応ここ最近では気まずい相手になっていただけに特に、だが。あわてて玄関に行くと。
 「俺……お前の気持ち、全然わかってなかった。ごめん!」
 土下座、だった。さっきから全くといっていいほど世界の思考はついていけない。なぜ航輔が謝っているのだろうとか、土下座までするほどなのだろうか、ということとか。普段の状態なら突っ込んでいるところにも無反応しかできなかった。とにかく。
 「お、俺も……ごめんな」
 言いたいことはいろいろ考えた。けれど最終的に、言えなくなった。というより、航輔を見てなんと声をかけたらいいのかわからなくなった、というほうが正しい。
 「お前……なんで」
 「これ以上言うなよ、これで終わりだ」
 どちらに責任があるのか、とかそんな話にはもう興味がない。あと世界が望むのは、航輔に本当のところを知ってもらうことだけ。隠していたわけじゃない。けれど積極的に言いたかったわけでもない。けれど、航輔にも無関係な話ではない以上、言っておかなければ、ならない。
 「ただ、お前に話しておきたいことはある。ちょっと時間、あるか?」
 航輔はようやく立ち上がり、少し考えてから、言った。
 「今日は暇だよ」
 でなければメールして即行で世界の家にやってくるなんて芸当はできないであろうが、それについては言及されなかった。航輔がついてくるのを確認して、世界はリビングへと向かう。とりあえず航輔を座らせて、適当な飲み物をだした。
 「ここへ来たのもずいぶん久しぶりな気がするな」
 「まーな、んで、その話なんだけど……」
 かいつまんで言いたいことだけは言った。ふと自分が死んでも世の中は回ってくんだろうな、と考えたこと。そしてちょっとだけ死んでみたくなったこと。それらをかいつまんで言った。
 「……なるほどな」
 航輔は神妙な表情だった。これからどんな言葉が浴びせられるのだろうと世界は身構える。が、しかし。
 「……終わったか?」
 「え?」
 糾弾するわけでも、感情的になるわけでもない。むしろ穏やかな表情すら浮かべていた。一体どういうことだろう、と首をかしげていたら。
 「もう、そんなことは考えないんだろ?」
 考えない。そう意識したことは明確にはないけれど、確かに世界はあれ以来そんなことは考えていない。それは航輔のおかげだと思うし、それに。
 「にゃー?」
 奥から歩いてきた、あの黒猫のおかげでもある。航輔の足元にすり寄っていき、そこで丸くなっていた。
 「あれ、こいつ……お前の飼い猫だったのか?」
 「いや、今日そこらでみかけたはいいけど家まで着いてきたから」
 なー、と声をかけたら猫もそれに呼応した。どうやら本当に言葉が理解できるのかもしれない。それならそれで扱いやすくて楽でいい。特に管理してやる必要もなさそうだ。
 「ふーん……そうなのか」
 「ま、命の恩人……ってやつなのかな、猫だけど」

 世界の話は、それなりに衝撃的なことだった。死んでも悲しむヤツはいるんだぞ、とか、なんで俺にいわなかったんだ、とか言いたいことはたくさん浮かんできた。けれどあえて、言わなかった。いや、もう本当にそれは蒸し返すようなことじゃない、と航輔自身がそう、結論付けた。
 あの日以来の世界は普通で、もう死のうとは考えないだろうと思ったということもある。ほかにも航輔がそれなりに気遣えるような立場になったということもある。それは今まで疎遠だった関係に変化が起きたことを示す。疎遠というには少しばかり語弊があるような気もするが。
 だから、もうあの話は終わりにする。世界が自分からそれを話してくれたことで、もう。だから航輔はああ言った。
 それからもう一つ、驚いたことがある。21日に見かけた黒猫が世界の家にいたことだ。話を聞けばバスに轢かれそうになった世界を助けたらしい。嘘だと切り捨てたくなるような話だが、前にも似たようなことをしていたことを考えると、これはもうれっきとした意思を持っていることになる。
 どうしてそんな猫が世界を助けているのかはわからないが、死にかけた人間を助けたいともし黒猫が思っているとしたならば、それについて航輔は否定できない。けれど。
 「名前、決めてやったらどうだ?」
 「名前?こいつのか?」
 「みたとこ雌みたいだしな。それっぽい感じで」
 「ふむ……」
 世界が飼う、と決めたのかそれとも猫自身がここに住むと決めたのか。それはわからないが、最終的には世界の家で飼われることになる。それならいつまでも猫呼ばわりしてないで名前を決めてやるのもいいだろう。
 「ここあとかどうだろう!」
 「……いいんじゃないのか、猫が気に入ったら」
 「じゃあお前の名前、ここあでいいな!」
 何がそんなに気に入ったのかはわからない。黒猫に付ける名前として適切なのか航輔には判断できないものの、すでにここあを自分の名前だと認識しているようで今度は世界のほうにとことこと歩いて行った。
 「よっしゃ、まあなんもない家だけどよろしくな」
 「にゃー」
 ここあを抱き上げて語りかける世界は、なんとなく楽しそうでもあった。そして航輔は、それに対して何か、悔しいようなそんな感情を抱く。それを首を振って否定する。もしかしたら、という話でも猫に嫉妬したなんて馬鹿げたことは考えたくもなかった。……嫉妬?
 

- continue -

2012-03-16

謎の存在ことここあさん。
名前に関しては一番適当で可哀そうなお方ですね。
彼女の存在が二人の架け橋だったのは間違いないです。