episode04-5 告白

 なんでだろう。世界は不思議だった。悪夢を見るとその日一日、落ち込んだりすることは結構多かった。あげく、突拍子もない行動をしようとしたりしたときもあった。だけど、最近はなんだか違う。悪夢なんてなんでもない、とまで思ってるわけではないが、気にせず日中は生活をしている。夜に眠るときはやはり少しだけ怖いけれど、それはもういつものことだった。
 それの答えかはわからない。変化に気付いたときに考え付いたのはやはり航輔の存在だった。彼が最近は世界の中で大きく大きくなりつつあることは自覚できるくらいになっていたけれど、それもあくまで幼馴染として、だと世界は考えていた。それ以外にこの関係性を表現する術を世界はまだ知らない。
 航輔と一緒に過ごす時間は何より不安を忘れさせてくれる。世界を引っ張ってくれる、と言い換えることもできる。その力強さを知らない世界にとって、それは新鮮だった。
 ただ疑問に思うのは。なぜ世界のためにそこまでするのか、と思うような場面に遭遇することもあるということだ。最初にしてもそう。世界が自分から動いた場面はほとんどなかったと言ってもいい。本人は薄々感じていたことだがここへきて、それはようやく確信へと至る。
 今日のことにしてもそうだ。相談の電話を掛けたのは世界の方だが、泊まりに来ると言ったのは航輔だ。世界はどうしたい、と言ったわけではない。それからの行動に関しては別だが、最初のきっかけを作ったのは間違いなく、航輔だ。
 疑問に思うと同時に、うれしくもある。こんな自分でも、積極的に関わってくれる人がいることに、少しだけ。けれどそれは、自分では何もできない、ということに対する裏返しでもある。航輔に対して、何もしてやれないことに申し訳なさというものも、同時に感じる。
 してやれることがあったのかもしれない。けれど、それを考えることを放棄していた節がある。無自覚に、航輔に甘えていた、とまでは言わないけれど、それに準ずる形になっていた。けれど、今の世界に航輔が何を求めているのか、考えるだけのことができなかった。否、考えることは出来ても、答えには至らない。
 そして彼は、再びあの黒い海に立っていた。どうにもこの海は暗い感情に引っ張られている節がある。航輔に対する罪悪感、だ。では今まではどうだったのだろう。希薄に生きてきたことに対する後悔だろうか、それともまた別に、負の感情を持っていたと言われればそれも納得できる。
 この海で探すもの、それはこの感情を消し去ることができるもの。航輔に対してしてやれること以外にほかならない。そしてその答えを探し出すことができれば、きっとこの海から脱出できる。そんな気がする。それを明確ではないが、感じ取った。
 その瞬間。黒い海の水位が下がった。潮の満ち引きなんてものがあるとは思えないけれど、とにかくこの場所は世界の心のありようを映し出しているに他ならない。いつからこんな感情に引っ張られているのか。
 それはきっと、世界の親が離婚して以来だ。世界は父に、弟は母に引き取られたのが三年前。それ以来父が帰ってこなくなり、一体今何をしているのかもわからない。弟や母とは時々会うけれど、今も母は自分のことを想ってくれているし弟も自分のことを慕ってくれている。
 けれど、あの家に住んでいる限りは、世界は一人きりだ。自然、考え込む機会も増える。その時間が増えれば増えるほど、見知らぬ何かを手繰り寄せているような気がして。最終的に、あんなものが発生したのだろう。だから。
 世界自身、もうどうにもならないところまで来ている。そしてまた、この海で得体のしれない何かに殺される。それは避けることができないのだろうか。
 ずぶり、と。なにかに足が沈んだ音がした。ここまで来て、最後はこの海に沈んでしまうのか。世界はそう理解した。いや、そういう風に思考をマイナスに向けてしまった、というべきだろうか。とにかく、このまま沈んでしまえば、どうなるのか。それを世界は、ようやく認識した。
 そして。
 「――……ッ!」
 幾度となく経験した、悪夢からの目覚め。荒い息、体温の高さ。いつも通りだった。けれど、いつも通りじゃないことが、一つだけ存在した。
 「ど、どうした?」
 隣で布団が捲れる音がした。けれどそれは世界の耳には届いていない。そこまでまだ、落ち着きを取り戻してはいなかった。
 「お、俺……俺は……」
 「おい、世界!」
 頭を抱えて、まさに暴れようとしていた世界を。
 航輔は、抱きしめた。そのまま、押しとどめるように。けれど、世界にもそれとなくわかるほど、強く。そしてしばらく、状況を認識していなかった世界と、勢いで行動してしまった航輔。その二人による沈黙が、しばらく続いた。月明かりが儚げに舞い込む部屋で、時間が切り取られてしまったように、景色が静止していた。
 それが動き始めたのは、一体どれほどの時間がたってからだったのだろうか。時計が存在しないこの部屋では、誰も知ることはできない。動いたのは、世界だった。
 「航輔……?」
 「……落ち着いたか?」
 諭すようなその声は、はるか昔、父親にそうされたように。暖かさに溢れていた。そして出来れば、ずっとそうして欲しいと、素直に思う。けれど。そんなことを、航輔に頼むことが、できるわけがない。
 航輔は家族ではない。他人という表現はあまりにも冷たい。だけど、それでも幼馴染だ。何もかも、とは言わないけれど、そこまで自分のわがままを押し付けることができると思うほど、甘い思考回路を持っていない。
 けれど、世界の理性はそう考えていた。世界の本能は違う。違うというより、その考えを否定することができなかった。それを止めたくなった。つまり。
 「……」
 黙って、航輔の来ていたジャージを掴んだ。すがりつくように、それを受け入れてくれることを願うように。これこそが世界の最大限の譲歩だった。言葉になどできない。けれど、それを押しとどめることもできない。この手を払いのけられたらもうあきらめることもできる。
 「どうする、もう寝るか?」
 そして航輔は、それを受け入れた。受け入れた、というよりは、世界が何も言わない限り、航輔はずっとこのまま、世界を落ち着かせるための抱擁を、続けてくれるだろう。
 「このまま、寝る」
 誰かと一緒に寝たことはおろか、誰かの存在すら感じないこの家で、その記憶は遠い昔に錆びついていた。弟とだろうか、父とだろうか、それとも、母とだろうか。その記憶すら曖昧になるほどに。けれどようやく、それも思い出すことができそうだった。
 「そうか」
 それについても、航輔は何も言わなかった。察してくれているのかもしれないし、そうでないのかもしれない。世界は航輔に、自分の家族に対して一切何の説明もしていない。けれど、恐らくは世界以外の人間の気配のないこの家に、疑問を感じたことはあったのかもしれない。
 けれど。今はそれを、どうでもいいと思う。今なら眠りに就いたとしても悪夢を見ることはないと感じていたし、なにより今の状態を手放したくは、なかった。なぜそう思うのか、よくわからないのだけど。とにかく強く世界はそう感じていた。
 「なあ、ひとつ聞いていいか?」
 そのまま、一緒に布団にもぐりこんだ。けれどすぐに眠りに就くことはやっぱり難しかった。悪夢に飛び起きた後ではなおさら。どうやら世界が一度眠ってから起きだすまで、航輔は起きていたらしい。それに感づいたからこそ、思うことがあった。
 「なんだ?」
 対する航輔は、ちょっと眠たそうだった。最初に寝室に引き上げた時間から考えれば、もうかなり遅い時刻だということがうかがえる。
 「なあ、どうして俺にそこまでしてくれるんだ?」
 それは、疑問だったというよりは感じていたことだった。これが原因で、世界は後ろ暗い気分になったりもしたが、それは当然航輔を責めることはできない。ただ単純に、興味だった。
 航輔は驚いたように目を見開き、そしてどこかよそを見て逡巡した。そして、世界と目を合わせて。
 「驚かずに聞いてほしい……お前が、好きだからだ」
 その言葉が意味するところを咀嚼して、理解するまでにまたしばらく時間を要し。
 好きという言葉の意味するところも、航輔の顔を見たら大体理解できた。そして。
 「え、ちょ、おま……それ」
 俄かに慌て始めた世界。航輔はそれを見て、
 「わ、悪いな……こんな時に」
 本人も、後悔しているようだった。正真正銘の、告白。それをこんな時に、こんな場所で。けれど、悪い気はしないと素直にそう思えた。相手は幼馴染、しかも同性。困惑する場面のはずなのに。いや、困惑は確かにしていた。しかしそれは唐突に誰かから告白を受けたら誰でも感じるもので、少なくとも同性からの告白によって起きるものとはまた、違う。
 「い、いや……まあいいけどよ……」
 「答えはいつでも、聞くから」
 航輔の目はあくまでも真剣だった。それはさっきの告白が世界を驚かそうとしたものではなく正真正銘本物だったことを意味している。
 そこから先は、二人して気まずくなり、沈黙。だけど世界は航輔の体温を感じながら、そのまま眠りに落ちていく。今度はもう、あんな夢は見ないだろう、と根拠はないけれどどこかに確信が持てるような。そんな気持ちで。
 

- continue -

2012-03-28

ついに航輔の告白がやってきてしまいましたね!
長い間空中を漂っていた彼の気持ちは今、言葉になって伝えられわわけです。
とりあえずあと2話、おつきあい下さい。