第01話 『それじゃ、僕は帰るね』

 秋が深まる、とはよく聞く言葉だ。なにをどうもってして深まると表現しているのかは俺にはわからない。気温が低くなるという意味なのか、枯葉が散って道にうず高く積もるという意味なのか。どちらにせよ情緒を理解する気のない俺にとってすれば意味のないことである。
 むしろ深刻なのは最高気温が1ケタになり寒い季節が到来することである。いくら獣人でも寒いもんは寒い。だからちょっとばかり憂鬱だった。だからその日は割と不機嫌でもあった。
 それの何が困るかと言えば。狼系統でありがちなちょっと不機嫌そうに眉を寄せるとすげー怖い顔になる、というアレである。図体が無意味にデカいこともありちょっとした恐怖というか畏怖というか、そういうものの対象になってしまったのである。
 それが別段苦でもなく、平和に学校生活を送るという意味においてそれ以上望むことはないくらいのシチュエーションなので何も気にすることはなく。高校一年生の冬が始まりかけていた。

 どん。
 くぐもった低い音とともに若干の衝撃が走る。どうやらぼんやりと歩いてたら誰かがぶつかって来たらしい。こういうときに起きる反応と言えば大抵驚く恐怖する謝る逃げるのパターンである。わざとぶつかって来たならともかく、偶然ぶつかったくらいでいちいち怒るような器量の狭い人間に見えるのだろうかと毎度辟易する。
 「あ、ごめん……ちょっと考え事してた」
 だがそいつは何か反応が違った。ぶつかった時にずれたのかメガネを掛けなおしながら俺を見てその台詞を言ってのけたのだ。近年まれにみる反応だっただけに俺もどう返したらいいのかは考えていない。いつもなら何か言葉を発する前に逃げていく。
 「……気にするな、俺もだ」
 そういうと向こうはすっと俺の横を通り過ぎ、どこかへ行ってしまった。あっさりしすぎている。今までにない反応だっただけに新鮮だったのか、妙に記憶に残ってしまった。
 今まで見たことがないヤツだったけれど、名札から見れば学年は同じ。熊野と書いてあったけれど見た感じは虎系の獣人だった。ちなみに俺はつけてないので向こうは多分俺の名前を知らない……が、一度見たらそれなりに記憶に残るであろう風貌をしているということは自覚している。
 夕焼け空の下、一人で帰る道はいつもと違って誰かのことをずっと、考えてしまっていた。  翌日。学校へいつも通りに行く。一度寝たせいで昨日のことはすっかり忘れ去ってしまっていたのだが、下駄箱でふと見かけた。おかげで、思い出す。声をかけてみようかと思ったけど、そういうキャラじゃないし、それになんといえば言いのかがわからない。
 おはよう、とか?言ったところで会話に詰まるのがオチだ。ではなんだろう。昨日はごめん、とか。すでに昨日の時点でそれは終わっている。なんだかんだ悩んでいるうちに行ってしまい、少しほっとしてしまった。なんだか久しぶりに少し悔しいと思った。
 その日一日はなんだかいつもと違う感じで過ぎて行った。なんだろう、妙に早いような妙に遅いような。不思議な感覚ではある。気分が向いた時だけ真面目に授業を聞いたりするがそういうときだけ早くてぼんやりとグラウンドで体育をしている連中を見てると遅く感じる。普段は総じて遅い。
 結局早いとか遅いとかそういう感情は関係なしに時間は進んでいく。気が付けば太陽は地平線間近、空は真っ赤な部分と宵闇による真っ青な空が連続して続く、不思議な色合いをしていた。この時期は5時近くなればもうこんな空が展開される。
 そんな時刻まで何をしていたかと言えば、何もしてなかった。学校内にあるカフェテリアに少しばかりいただけのこと。たまに言ってはヒマつぶしをしているが正直不毛でしかない。けれどここで飲めるアールグレイは美味しいと素直に思える。一般開放もした方がいいんじゃないかと思うがそれは特に意味のない話だ。
 カフェテリアを出て温度差に身震いしながら首にマフラーを巻きつけて家路に就くことにしよう、と思ったら。
 中庭になんだか見覚えのあるやつがいた。座り込んで何かを見ているようだ。脇に如雨露が置いてあることから察するに、花に水でもやっているのだろう。中庭はどこかの業者が管理しているらしいが、それでもこまめに水をやる人は必要なのだろう。どこかのクラスが係を作って世話してるんだろうか、と思っていたら。
 その見覚えのあるやつがこっちを見た。俺は一瞬身を強張らせたが向こうに特に敵意があるわけでもない。俺はじっと見返すと、向こうは俺に向かって手招きした。こっちにこい、という意味だろうか。別段急ぐ用事もない俺は素直に従うことにした。それでも、誰かが見ていたら驚くような光景には違いないのだろうが。
 「久しぶりだね」
 開口一番にそう言われた。少なくとも俺は昨日会った奴に久しぶりという言葉を使うところに遭遇したことがないが、こいつにとってはそうなのだろうか。適当なことを口走っているだけかもしれない。
 「昨日会っただけだろ」
 この無愛想な言葉づかいも直した方がいいかもしれない、と思っているけれど結局直ることはなさそうである。
 「そうだね、でも昨日も会ったし今日も会ったし、何かいいことありそうじゃない?」
 そう言って立ち上がる。生憎だが俺にはそういう考え方ができそうにない……と思ったところで、俺は少し驚いた。昨日はよく見てなかったけど、こいつの目は死んでいる。淀んでいると言ってもいい。少なくとも本心から言っているようには、見えなくなった。
 「お前……なんなんだ?」
 そこで初めて熊野の笑うところを見た。
 「僕?なんだろうね、僕にもわからない」
 困ったような笑顔の前に、俺は戸惑ってしまった。そもそも誰かの相談に乗ったことすらない。もし仮に困っているのだとして、だけど。
 「で、俺をここに呼んだ理由は?」
 何か話したいことでもあったのだろうか。
 「ないよ」
 あっさりと言い切った。……俺を馬鹿にしてるんだろうか。それよりも俺を相手にこういった態度に出るということ自体度胸があるとほめるべきか。随分と上から目線な気もしてきた。
 「それじゃ、僕は帰るね」
 如雨露を片手に熊野は手を振ってまたどこかへ歩き去ってしまった。そして中庭に残される俺。さすがに少し腹が立ってもいいと思う。
 だけど。一つだけ思う。俺が誰かとまともに会話したの、実は初めてなのではないか?
 冷たい風が頬を撫でる。中庭に一人突っ立っている光景はさぞかし笑えるような気もするが、今の俺にそんなことを気にしている余裕はない。
 ……。まじかよ。俺は空を見上げた。赤と青のグラデーションはもうとっくに薄暗い青に浸食されつつあった。たぶんほとんど事実である。認めたくはないんだけど。今のは会話と呼んでいいのかすら疑問な始末である。ちゃんとキャッチボールに……なって、ないな。
 やり場のない怒りなのか、悔しさなのか。よくわからないが、なんだか叫びだしたくなった。
 気づけばすでにあたりは段々と宵闇の気配が濃厚になりつつあった。完全に暗くはないけれど、街灯がそろそろだ、と明かりを点けだす頃合い。この時間帯はまだ部活も終わってないし、会社帰りのサラリーマンもまだ仕事中なのか見かけない。なにかが欠落したかのような時間帯、逢魔ヶ刻。
 魑魅魍魎と会えるなんざ期待してはいないけれど、不思議と人の気配がない通学路を歩くのはなかなかに愉快なものである。このあたり、深夜に静まり返った街中を散歩するのに通じるものがある、と思う。深夜帯と違うのは、見えないけど確かに人の気配があることで、妙な安心感がある。
 そんななか歩いて帰宅途中だった俺は、公園にまたも見覚えのある人物を見つけた。そもそも公園で遊ぶ小学生も少ないし、初冬が近いこの時期ともなれば公園に人がいる、ということ自体珍しい。最近では危険な遊具とかが撤去され、公園の体を成していない場所も多々ある中、ここは比較的マシだと言える。ただ気になるのは、そんな誰も来ない場所で熊野が何をしているのか、ということ。
 彼は中庭で見た時と同じように、しゃがんでなにかを見ていた。さっきとちがうのはここから少しだけ表情が垣間見えるところだった。薄暗い時間帯だが、距離が意外と近いから少しは見える。
 なんとも信じられない話だが、穏やかに笑っていた。あの生気の宿ってない瞳はそのままだったけれど。中庭にいた時もそんな表情を花に向けていたのだろうか。少し意外だった。
 少しばかり気を取られてしまったけれど、俺はそのままこの場を後にする。熊野がどう思うかはさておき、俺ならだれかにああいうシーンは見られたくない。
 最終的にあたりはすっかり夜を迎えて、街灯の明かりを頼りに家に帰らざるを得なくなったことに気付いたから、というのもある。ふと夜空を見上げる。あたりが街頭などで明るいせいもあるだろうが、夜空に輝く一等星は確かに見える。
 そのまま視線を目の前に戻し、すっかり黒に染まった通りを歩く。昨日と同じで、今度はさっき見た熊野の笑顔が頭から離れなくなっていた。本当に笑っていたのかどうか、俺にはもう確かめるすべはなかったけれど、俺の中では確かに笑っていたんだ、とそういうことにした。
 

- continue -

2013-07-07

新しく話を書いた、っていうか昔上げていた話のリメイク版、というか。
案外僕はこの二人のこと好きだったりもして。