第02話 『君じゃなきゃやーだー』

 吐く息が白い朝は得てして寒い。当たり前なことだが、実際に目にするとどうにも一割ほど寒さが増すような気がする。けれど、冬の朝の張りつめた空気は嫌いじゃない。霜が降りている草を見てちょっと震えながら学校へ向かって歩く。マフラーと手袋なしではとてもじゃないが学校にいけない。
 そのうえでポケットに手を突っ込んで歩く。やたらと注意されるところを見かけるスタンスだがあいにく俺には声がかからない。かかったとしても毛頭、やめるつもりなどない。これまでから察すると注意しない理由は分かってもらえると思う。
 太陽が出ているはずなのに、朝の通学路は完全に吹き付ける風のせいで寒い。夏は過剰に仕事をするくせにおかしな話だ。冬ももう少しがんばってほしい。……などと、冬が寒いのは太陽の働きが悪いなどという意味の分からない思考をしてしまう程度には、寒さは嫌いである。たまに手袋はともかくマフラーもしていないという標準の冬服仕様で登校してるやつを見るが、奴らは寒さを感じることができているのだろうか。気になる。
 風が今すぐやまないかなあ、とか考えてたら今日も無難に学校に着いた。風は必要な時に吹いてくれれば本当に楽だと思う。と、またまたどうでもいいことを考え始める。こうも寒いと諸悪の根源が風になるのはしょうがない。
 下駄箱を通り、そのまま教室に向かう。薄っぺらい鞄を机に置き、授業開始まで手を温めておこうとカイロを取り出す。こうでもしないと手が震えて碌に字すらかけない。  「……あれ熊野じゃね?ベンチで寝てるの」
 目の前の席で雑談している男子が中庭を指差して言った。つられてみると確かに。ちょっと見えづらいが熊野がベンチに寝転がっているのが辛うじて分かる。
 「何やってんだよあいつは」
 もう一人の男子が会話に応じた。俺はそれをぼんやりと聞き流しつつ目は中庭に向けたままである。
 「光合成じゃね、本人も言ってたし」
 「あいつなら出来かねんな」
 と、言いながらどこかへ立ち去ってしまう。確かに、と俺は心の中で同意してしまった。光合成がどんな仕組みだったかはおぼろげながら覚えている。それでもできると思ってしまうのだから不思議な奴である。……あんなところに寝転がっていて寒くないのだろうか。それは気になったが、寒さに耐性のある人種とは相容れないから忘れることにした。
 そんな熊野も授業が始まると教室に帰らなければならない。チャイムがもうすぐ鳴るというときに熊野は立ち上がり。
 こっちを見た、気がした。
 けれど中庭からここまで意外と距離がある。もしかしたら見間違いなのかもしれない。逆にそうでないのかもしれない。確かめるすべは本人に聞いてみるしかないが、果たして。
 結局この日も、恙なく終わって行った。けれど少しわかったことがある。熊野はああ見えて社交的な性格をしているらしい。割とその名前をよく聞くのだ。それも悪いうわさとかではなく。あくまで普通に、普通な話題の中に。
 これについて聞き耳を立ててた俺は相当社交性がないのだろうが、今はそんなことを気にしている場合ではない。……一応弁解しておくが、話をする程度の奴がいないわけではない。
 しかし。俺があいつとまともに話したことは多分一度としてないが、それが裏付けているように不可思議な性格をしている。それが珍しいのかもしれないが、俺としてはなんでもいいけどうらやましい。正直な感想を言った。
 今日は授業が終わってすぐに帰ることにした。夕方ならまだマシなのだが、宵闇が迫るととても寒い。体感温度が下がる。なので、今みたいに真っ赤な空が体感温度を上げているうちに帰ろうと思ったのである。
 部活動に向かう生徒たちとは正反対の、校門に向かって歩く。ああ、なんなんだろうな、このちょっと空しい気分は。部活には入るつもりがないしそもそも勧誘しようと思った奴がいないのか、結局俺は入ってない。
 「ねえ、ちょっと」
 そんな俺に臆せず話しかけてくる奴と言えば今のところ一人しかいない。当然熊野である。なんでこう毎日毎日話しかけてくるんだろうか。昨日は別にしても。
 「なんだよ」
 ため息をつきながら言う。こいつのせいで俺の帰る時間が遅れるからである。まあ、昨日の例からすると今日も意外とあっさりどっかへ行くかもしれない。
 「頼みたいことがあるんだけど」
 「俺の他にも頼める奴いっぱいいんだろ、じゃあな」
 そんな保証はどこにもないので、俺は自分からどっかに行くことにした。
 「君じゃなきゃやーだー」
 というよくわからない理屈で引き止められさえしなければ、完璧だったというのに。俺に対してこんな風に接してくるヤツにこいつ以外の心当たりがないので本当にどうしたらいいのかわからん。俺は勝手に帰ることさえできないというのか。なんか知らないけど鞄掴んでるし。
 「……。聞くだけ聞いてやるよ」
 断る以外に選択肢はないが、話を聞くだけで随分断りやすくなる……と思う。はたして熊野にそれが通じるのか、わからないところがあるけれど。
 「話聞くってことは引き受けるってことで良い?」
 なぜか俺の思考を先読みするのがうまい。こういう技術も生きてくためには必要なのだろうか、とか思ったりしたが。
 「じゃあ帰る」
 校門に向かおうとしたら今度は目の前に立たれた。それも至近距離である。思いっきり俺を見上げながら熊野は言う。
 「帰っちゃやーだー」
 ……なんでそんなに俺に頼みたがるのか、他に頼む人はいないのか。いろいろと疑問はあるけれど、とりあえず熊野に目を付けられてしまったらしいことはよくわかった。いろんな意味で願い下げな話でもあるけれど。
 ここじゃ寒い、という俺たっての希望でカフェテリアに移動した。その間にも日が沈んでいき、俺はもうどうでもよくなってきた。……はあ。
 「で、なんで俺なんだ?」
 「特に理由はないけど」
 そうだろうと思った。暖かい店内にいなければ怒りだしていたのかもしれない。その辺り俺の気づかいに感謝してもらいたい。一体校門付近でしてたやりとりに何か意味はあったのだろうか。それはさておき、今日はオレンジペコーにした。熊野はココアを頼んでいたが。
 「んー、でもなんとなく関わりたいキャラしてるじゃん?」
 「いまだかつて俺にそんなことを言ってきたやつはいないぞ」
 あれ?と首をかしげる熊野を見て、やっぱりこいつはよくわからない、と感じる。俺にかかわりたいと思えるならそれだけで学校全体の99%くらいの人間とは円滑にやっていける気がするのだが、当の本人的には違うらしい。
 「でも面白そうだなーって思ったし」
 なぜか食い下がる。面白いか面白くないかで言うなら俺は間違いなく面白くない部類であろう。それくらいの自覚はある。
 「ここまで無愛想な俺に関してそう思うこと自体異常じゃないのか?」
 「え?駄目?」
 ……。俺の負けだ。好きに思っておくといい。ただしそれが合っているのかどうかは保証しない。そして、ようやくやってきた紅茶を一口。やはりここのはおいしい。
 「ここのココア不味いんだけどほかに飲めるものないんだよね」
 ……。もしかして俺に喧嘩を売っているのではないだろうか。そう考えれば辻褄は合う。が、かなりまどろっこしいやり口を選んでいる。喧嘩したいならさっさとその旨を俺に言えばいいのに。けれどこいつの性格を考えるとなんだかあり得る話のような気もしてきた。
 「ほら、なんていうかさー、甘くないし」
 ……。ココアはそもそもそんなに甘い飲み物ではないと知らないのだろうか。まあ知らないのだろう。知らなくても問題はないが、何か釈然としない。何かが。
 「じゃあ砂糖好きなだけ入れろ」
 けれどそんな気配はおくびにも出さない。いや、出したところでどうせ会話になるまい。「え?ココアって甘いものでしょ」で一蹴される光景が目に浮かぶようだ。ちょっと話した程度で分かってしまうという点で言うと意外にもわかりやすいのかもしれないが、疲れる。多少距離を置いて付き合うのが正しいとわかった時点でもう遅いようだが。
 「うーん……これ塩なんじゃない?」
 何をどう考えたらカフェテリアのテーブルに塩が置いてあるんじゃないかという考えに至るところからして謎ではある。が、シュレディンガーの猫の話にあるように、蓋を開けて味見をしないとそれが砂糖だと確定しないって考えも、分からなくはない。が、カフェテリア側が塩なんぞをテーブルに置いたところで得られるのはクレームだけだからそもそも考えること自体おかしい。
 「……」
 カチャカチャとなにやらやっている熊野を見て、俺はため息をついた。なんかこう……なんだろう。やるせない感じ。さっきも校門の近くで感じたような気がする。
 「あ、砂糖だ。おっけーおっけー」
 一舐めして砂糖と確認できたらしい熊野はどばどばと遠慮なく砂糖を気のすむまで入れてかき混ぜていた。なんかとても楽しそうである。俺は話が進まなくてなんだかイライラしてきたのだが。
 「で、何の用だ?」
 ここまでくるともう何もないような気がしてきたから、そう言われてもいいように事前に身構えておく。油断するとぶんなぐるかもしれない。なんだかんだでここまでおちょくられたのは初めてだ。
 

- continue -

2013-07-21

熊野くん、実は相当変な奴。
実はというまでもなかったかな?