第06話 『もしもし、熊野くんだよー』

 徐々に日が傾いてきて、若干太陽の光がオレンジ色を帯び始める頃合い。コーヒーも飲んでしまったし、雑誌も読み飽きたので俺は帰ろうと席を立ったら、熊野もついでに帰ると言ってパソコンを終了させていた。結局成果は上がらなかったらしい。ため息はついているがいつものように表情にはでてこない。
 「お前がアルバイトなんてなあ」
 俺とは真逆の意味においてそう発言した。基本的に無表情、たまに笑ったりもするがどことなく演技臭い。まず間違いなく接客には向いてないだろうと思われる。ああ、俺が人のこと言えないってのも分かってる。
 「……僕だってできればしたくないんだけどね」
 ということは本人の意志以外のところでなにかの事情が絡んでいるのだろうか。やはり、家庭か。俺はなんにせよこのあたりの話題は自分から言うまいと決めていた。聞かれたくない事情があるのかもしれないから。
 「んじゃ、帰るか」
 今日は私服で学校に来たために手ぶらである。ちなみにこの学校、授業がある日に学校に来る場合は制服だが、授業がない、あるいは休日とかだと制服でも許される。いったいこの学校は何が禁止されてるのだろう、とときどき思う。法律と常識を守れば何をしてもいいのだろうか。
 「はー、そうだね」
 熊野は制服だった。別にこれはこれで不自然なことじゃない。学校に来るんだから制服でも何もおかしくはない。ただ、言葉の端になにかの感情が込められているような気がした。生憎俺は他人の感情を読み解くことが得意じゃないから、わからなかった。
 学校を出て、しばらく線路沿いの道を歩く。熊野の家と俺の家はそう近くはないのだが、帰る道のりは途中まで同じ。時に雑談、時に沈黙を繰り返しながら歩いていく。そこから駅前に出て、商店街を通り抜ける。クリスマスまでまだ一か月弱はあるけれど、このイベントに乗らない手はない、とばかりにセールの文字が躍る。暗くなってくると、たまに家をイルミネーションで飾る家があったりするから、俺は嫌いじゃなかったりする。
 「クリスマス、ね」
 不意に熊野が言った。こういうイベントにも特に興味を示さないものだと思っていたら、そうでもないらしい。逆に俺の見立て通りに無表情・無気力・無感情だったりしたらそれはそれで近づきがたい、とは思う。
 「サンタさんでも信じてるのか?」
 俺にしては珍しく、茶化して言った。もっとも俺の家の場合だと未だに隠しているフリをしていてほほえましいと思うくらいだ。昔は暴こうと躍起になったけど結局尻尾をつかむことはできなかった。
 「……僕の欲しいものをくれるなら、信じてもいいかな?」
 ……それはそれで何か矛盾しているような気もしたが、考えてもよくわからなかったのでそのままスルー。途端にこの話題は途絶え、商店街を抜けた先で俺たちは別れた。
 翌日。日曜日ということもあり俺は遅くまで眠りこけていた。時間にして昼過ぎだろうか。こんな日は外に出ずリビングあたりでこたつに入ってぬくぬくと読書をしているのが一番いい過ごし方だと思う。
 というわけで、今日も今日とて起きたら出かけていた親たちの残した朝ごはんを食べる。……出不精も出不精で問題だとは思うのだが、かといってここまでアグレッシブに外出しまくるのも考え物だと思う。おかげで俺は立派に引きこもりになってしまった。
 そのあと俺もどこかにでかけようかと思ったが、この寒い中出歩くのは得策じゃないという判断により今日は一日家にいることにした。とはいえ、すでに今日は半分が終わってしまっているのだが。窓の外に見える葉を落としきってしまった木が風に揺れてる様を見るとほんとにもう外に出たくない。
 ふと思う。熊野は今日、何をしてるんだろう、と。ただの好奇心にすぎないのだが、気づいてしまったら妙に気になる。学校にいるのだろうか。それとも。不思議と家にはいないような気がした。
 せっかくなのでメールを送ってみた。何してるんだ、と書いただけの簡素なメールだった。けど、返信はすぐに来た。内容は「さんぽ」と三文字だけ書かれていた。  ……散歩。なぜ好き好んでこんなクソ寒い季節に外を出歩くのかはともかくとして。目的はなんとなく想像がつくような気がしていた。こんな時期にも咲く花がある公園が、あるのだ。少し前に俺も見かけた、あそこ。熊野のことだから他にも花が咲く場所を知っているのかもしれないけど。
 公園めぐりか、とだけ返して俺はコタツにもぐりこむ。ああ、やはりこの時期に必要なのは外に出かける根性ではなくてぬくぬくできる環境だとつくづく思う。と、携帯にはまたメールが着信した。いやに返信が早い。まあ暇で仕方ないから散歩をしてるんだろうが。
 市野瀬って表札の家みっけたーと返ってきて俺は思わずコタツで寝転がっていたのにがば!と起き上がってしまった。市野瀬。ありそでなさそなギリギリな感じがする苗字である。が、こういう風に書くいちのせは少ない、と俺は自覚している。大抵は一之瀬だ。
 マジなのだろうか。リビングから見えるのは塀くらいなものなので何とも言えない。が、しかしこの俺の住んでる市に市野瀬という苗字をもつのは何人いるのだろう。よくわからん。
 とにかく返信すると、電話という形で返ってきた。慌てて電話に出る。
 「も、もしもし?」
 相手はすぐに答えた。
 『もしもし、熊野くんだよー』
 相変わらずの間の抜けた声。
 「俺の家の前に居るのか?」
 『多分だけどね。高原町だよね?』
 鎌橋市高原町5丁目67番地。それが俺の家の住所である。もうほとんどアタリみたいなものであるが、一応聞いてみることに。
 「5丁目らへんか」
 『うーん、わかんない……さっき通った交差点に3丁目って書いてあったよ』
 確かに近くの交差点は高原町3丁目。……これはもう間違いないと言ってもいいだろう。
 「あー……もう確定だな」
 『うっそ、ほんとに?じゃあお邪魔するね!』
 言うや否やチャイムが鳴る。俺の承諾なしとか度胸あるよなと思いつつ。俺はせっかくぬくぬくしていたコタツに未練を残しながら、重い腰をあげた。
 「……で、お前は散歩してたんじゃねえのか」
 リビングに案内するやいなやコタツにもぐりこんだ熊野に言った。いやその気持ちはすごくよくわかるんだがな。順序ってものがあるだろう。
 「うん、ふらふら散歩してたら君ん家みつけたんだ」
 どういう運のよさだろう。幸運とも悪運とも言い難い。
 「で、そっからなんでこんな展開になるんだ?」
 すくなくとも俺は、知り合いの家を見つけても行ってみよう!とか思ったりはしない。
 「駄目?」
 ……。でた。熊野の困った時の必殺技(?)。駄目?と言って首をかしげてみることでだめだ、とか否定的なことを言えない空気を作り出す、という。
 「……ま、いいか。別にいいし」
 とりあえずお茶を出してやって俺はまたコタツに潜る。正直寝たいが熊野もいるしやめたほうが無難だ。  「そういえばご両親は?」
 なんだか妙にかしこまった言い方をした。ふつーに親は?でいいとおもうのだが。
 「朝から仲良くどっか行ったよ。たぶん映画だろ」
 趣味は映画観賞、というお互いに出かける口実をとても作りやすい趣味を持っているので週末は仲良くお出かけである。俺は出不精なのでついてくことはめったにない。
 「へー……仲良いね」
 「まあ悪いよりいいのは事実だな」
 おかげで俺はのびのびと休日を楽しめる。ただし飯の調達はわりかし苦労する。なにせ必ず作っていくわけじゃない。
 「そうだね」
 どこか遠くを見ながら熊野は肯定した。どっかに仲悪い人たちの心当たりでもあるのだろうか。
 「まあそんなわけで割とこの家は自由なわけだが、かといって暇をつぶせるものはないな」
 ゲーム機の類はない。ボードゲームもそこまで持っているわけではない。カードゲームと言えばトランプくらいである。俺も親もゲームの趣味は持ってない。
 「いいよ、僕もそんなに長居するわけじゃないし」
 それはそもそも用事もないからで当たり前と言えば、当たり前である。俺がメールしなければこうはならなかったのかもしれない。
 「というかお前、よく外ぶらついてるよな」
 学校が終わった後も、休日も。大抵学校かそのあたりをふらふらしている、という印象が強い。家に居てもつまらないのだろうか。
 「まあね、草花の観察したりとか」
 熊野の趣味を考えればそういうことになる。育てる、というよりは観察の方が好きなのかもしれない。あくまで俺の考えだけど。
 「市野瀬君は、普段何してるの?」
 今度は俺への逆質問。まあ俺が聞いたわけだし、答える義務もある、と思う。
 「俺は読書とかが多いな」
 コタツにおいてある本を掲げてみせる。ジャンルは問わない。ミステリーでもエッセイでもなんでも。要はヒマつぶしであって趣味とは言い難いのだが。
 「へえ、僕はそんなに読まないんだけど」
 だろうと思った。が、しかし熊野くらい本を読んでいる姿が似合う人もそうはいない気がする。聞けば目が悪くなったのはゲームのしすぎらしい。メガネをはずすと全然見えなくなってしまうようだ。
 「読書してる体でも装ってればそれなりに様になるのにな」
 思わず本心が漏れた。が、まあ熊野にとってはわりとどうでもいいことらしい。俺にとってもどうでもいいことなので別段気に留めなかった。
 この日は、熊野が適当な時間に帰ると言い出すまで飽きることなくだらだらと雑談を続けていた。俺は誰かとこういう時間を紡ぐことは珍しかったから、なんだか新鮮だった。
 

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2013-12-14

熊野くんと市野瀬くん。
何気にお気に入りのキャラだったりしまして。