第二話 「第一次接触A」

 内心焦っていたのは、航輔の方だった。なぜなら人の目の前で世界の手を取る、なんてことをしてしまったからだ。世界が人に航輔との関係を知られたくないのは十分にわかっていたし、だからこそ無意識にそんなことをしでかした自分を恨めしくも思ったりした。
 けれど、そんなことよりもなぜこんなにも自分は焦っているのか。そこもそこで問題なのだった。それこそ普段の航輔であるなら、『隠すことでもないだろ』とむしろ開き直るところなのだ。にもかかわらず、動揺していることを誤魔化すのに精いっぱいだった。
 世界と付き合い始めてまだ日が浅いものの、心境に変化が生じていることはもうはっきりと理解できた。世界の面倒を見てやるという気概を最初は持っていた。持っていたはずだった。一応同い年であるはずの少年は確かにどこか頼りない。
 けれど。今日の朝からどこかおかしいと今にして感じる。世界と一緒に登校したかった、と言えば簡単だが、事情は複雑なのである。今日の入学式のために、航輔は早くに学校に来なければならなかった。それに世界を付き合わせるのはあまりに酷だ。
 そしてようやく今日初めて世界と会話したと思ったら、もうすでに誰かと交流があったらしくて。なぜかそれを不愉快に感じる自分がいた。なぜそんなことを感じるのかはわからなかったけれど、とにかく。一体どんな人物なのか、気になっていた。
 世界が誰と仲良くしていようと気にしない、そんなことを意識していたわけではなかったけど、そういう考え方をしていると、自分で自分を理解していたはずだったのに。蓋を開けてみたらなぜか違っていたと、それだけの話。
 ひどい言い方をするならば、世界のことを見下していたのかもしれない。自分が世界を守ってやると、そんな感じに。それだけのことは出来る自信があったし、なければそもそもそんなことは思わない。
 だけど結局、そんな気持ちを抱え込んでおくわけにもいかない。だからこそ、今は自分を誤魔化してでもいつも通りの航輔を演じなければならないのだった。

 カフェテリア、と呼ばれているその施設だが、特に決まった名前があるわけではない。今年の春休みに作られたらしく、名前も生徒たちからの公募で決められるそうだが、まだ目立って動きはない。大きさはそれほど広いわけでもなく普通の喫茶店と言った風情である。
 原則として昼休みを除いた休み時間及び授業中の使用はできない。あくまでも学校に来ている以上授業には出ろということらしいが、そもそもこの学校に進学できた以上そこまでサボりに特化した生徒がいるというわけでもないのだった。
 今日が入学式だったとはいえ、校内にある各種施設の利用はできるようになっている。けれど、まだきちんとした説明を受けていないのもまた、事実。それなら校外のどこかに出ても良かったのだが、いかんせん安さというものは魅力的なのだ。
 「……こうしてみると普通の喫茶店にしか見えないな」
 「どっちかって言うと休憩所的な意味合いが強い、って言ってたな」
 「のど乾いたしさっさと入ろーぜぇ!」
 今日という日の影響もあって、ほとんど人がいなかった。それでも開いているというのもなんだか不思議な話だが、日曜祝日とお盆、正月以外なら基本的に開いてるとのこと。
 「なあ、航輔。なんであんなのとここに来ようと思ったんだ?」
 すでに座席に座ってメニューを開いている夕城を見て、世界が呟いた。世界にとって夕城の存在は割とどうでもよくなっているらしい。
 「別に、特に理由はないが」
 強いてあげるならお前が理由だ、とは口が裂けても言えない。少し前の航輔ならそんな気障ったらしい台詞を平気で言えたのだが、今はそれを言った後の世界の反応が気になって仕方がなくなってしまっている。  「よくわかんない奴だな」
 世界の言葉にちょっと寂しくなって、あまり満更でもなさそうな顔を見てちょっと嬉しくなる。こんな自分がなんだか嫌になってきて、とりあえず今考えたことを忘れようと航輔も店の中へと足を踏み入れた。

 「そういえばまだ名前言ってなかったか」
 「知ってるよー、入学式の時なんかしゃべってたでしょ?」
 一応そのあたりの記憶はきちんと持っていたらしい。この短時間でどこまで評価が下がったのか、世界自身にはわからないけど悪い奴ではなさそうだ、とは思っている。
 「それなら話は早い、よろしくな」
 「おぅ、僕こそよろしくー」
 何やら握手を交わす二人を見て、なんだか取り残されたみたいな気分に陥る。けれど、航輔は基本誰とでも仲良くできるから気にするだけ無駄だとも悟っていた。
 「で、そちらは世界くんって言ってたねえ。うん、なんかすっごい名前」
 夕城、とか航輔、とかに比べたら確かに個性的だ。いや、あくまでも良い言い方をしたらそうとしか言えない、という方が正しいわけだが。世界なんて名前を付けようと思う方がそもそもどうかしている。とはいえ、それは世界なりの価値観でしかないのだけれど。あながち間違ってるとも思えない。
 「まぁ俺もそんなに気に入ってないしな、名前」
 不貞腐れたように、零れた本音。名前を変えたいと思うほど嫌いなわけじゃないけど、かといってそれだけで好きになれるはずもなく。
 「そういうことは言うもんじゃない、お前は」
 ぽん、と頭に何かが乗った。航輔の大きな手は、いつもなら不快に思うはずの行動もそう感じさせない何かがあった。
 「そうだよ、折角もらった名前なんだし」
 珍しくきちんと聞いていたのか聞いていなかったのか、メロンソーダの入ったグラスを傾けながら夕城は言う。心なしか遠くを見つめているような気もしたけれど、すぐに表情を変えてしまったのでよくは分からなかった。
 「それはいいとして、今日陸はどーしたんだ?」
 クラスは同じだったはずなのに、見ていない気がする。特に意識して探していたわけではないけど、記憶にないというのは少しおかしな気もする。
 「なんだか今日は急いでるみたいだったな」
 そこのところを欠かさずチェックしている航輔はやはり流石だった。このあたりに友達の多さとか、そういった違いが表れているのかもしれない。けれど、細かい気配りが苦手な世界にとって、それは難しいことなのだった。
 「陸?」
 知らない名前が挙がったせいか、夕城は首を傾げて言った。
 「俺らの幼馴染だよ、4人いるんだけど」
 今日は何か用事でもあったのだろう、ととりあえずは納得した。あとで何があったのか陸には聞いてみることにして。

 そこから少しだけ話したのち、その日は解散となった。ところどころ夕城の様子がおかしかったような気もしたけれど、結局それについて夕城に聞くことは出来なかった。
 「……俺たちも、帰るか」
 夕城に別れを告げ、再び二人きりに戻る。それでもまだ正午を回った段階で、だけどもうほとんど生徒が帰ってしまったのか人通りはまばらだった。
 カフェテリアから駐輪場へと向かう道を二人で歩く。航輔は、その間考えることに夢中になっていた。
 (俺のこと、どれくらい好きでいてくれてるんだろう……?)
 一応付き合っているということになっているものの、今までの関係性からいえばただの幼馴染、と言っても通じるのだ。けれどこればっかりは世界に聞いてみないとわからない。もしかしたら本当に友達感覚なのかもしれない。
 もし、そうだったら。いや、それでもいいのかもしれないけど。一体どうしたらいいのだろう。航輔にはそれが全く分からない。無理に先の行動に出れば、一気に嫌われかねないというのに。
 「どーしたー、航輔」
 航輔が今まさに思い悩んでいるとは知らずに、世界はひょいと振り返り、言った。一瞬航輔はどうしようか迷ったものの、どうせだったら吐き出してしまうか、と決める。どうせ今なら近くには誰もいない、中庭にいるから。
 「お前はさ、俺のこと……どれくらい好きだ?」
 世界の反応をうかがう。きょとんとしていた。まだ質問の意味を理解していないのだろうか。そう思った航輔はもう一度問いかけようとして。
 「どれくらい、って言われてもわからねーけど。俺はお前のこと好きだぞ?」
 「大好きか?」
 「そーだな、大好きだな」
 真顔でそういうことを言ってくると思わなかった航輔は、面食らってしまって。切り返した答えも真面目に返された。もしかして、この言葉は友達として、という意味なんじゃないかと航輔がほんの少しだけ疑った時。世界がそっと航輔に近づいた。
 そして、すっと航輔の手を掴む。
 「ほら、帰るぞ?」
 優しい表情でそんなことをいう世界を見て、航輔は思った。やっぱり世界のことがすきなんだ、と。表情も仕草も、笑顔も何もかも全部ひっくるめて。だからこそ、世界に告白した自分の行動は間違っていなかったと心から言える。
 「……そうだな」
 今まで思っていたことは結局、世界が好き過ぎたせいで空回りしていた部分もあったのだろう。だからいちいち行動が気になるし、心配になるし、考えがまとまらなくもなる。だからこういうことは考え物でもあるけれど、不思議と後悔はしていない。なぜなら今、このとき世界と一緒に居られることが、航輔にとってはとてつもなく嬉しいことだから。
 世界に腕を引かれて歩きながら、航輔はそんなことを考えていた。
 

- continue -

2012-08-26

なんだか書いてて楽しかったですねえ。
ただ、この話の主人公はあくまでも夕城のはずなんですけど。
僕が航輔と世界の二人が好きなせいっていうのが大きいんですかね