第三話 「第一次接触B」

 (……なんだ、アレ……)
 始めは世界も見て見ぬフリをしようとしていた。朝から変なものを見た、とばかりに。それが一応の知り合いでなければ無視していたところである。ただ、声をかけることに関しては躊躇われた。隣を走っている航輔が自転車を止めたりさえしなければきっと何もしなかったに違いない。
 入学式の翌日の朝のことだ。自転車で通うことになっている世界は、この日航輔と一緒に通学路を快調に走っていた。ただ、商店街の手前にある公園で夕城を発見するまでは。
 何の気なしに公園の方を見た。朝から公園にいるのなんて、例えば幼い子供が早くに起きて母親に連れてきてもらったとか、それくらいの人たちしか考えられない。まさか夕城がブランコをこいでるなんて普通は思いもしない。それもすごく楽しそうに、と修飾しなければならないのだからなおさらである。
 「お、あいつ何やってるんだ?」
 結局航輔も気が付いてしまったようで、自転車のスピードを落とした。どうやら公園に寄るつもりらしい。時間に余裕はあるものの、寄る意味があるのかと言われればないんじゃないか、と思わざるを得ない。
 「あれー、航輔となんかちっちゃいのじゃん。朝から殺気振りまいてどうしたの?」
 鈍いのか鋭いのかよくわからない発言に、世界は朝から気分がすごく悪くなったのだが、当然夕城はそんなことはお構いなしである。
 「お前こそ朝も早くからなんでそんなにハッスルしてるんだ?」
 確かに、夕城のブランコを漕ぐ姿はどこか必死さを感じさせるようなものではあったけれど、世界にとってはもうどうでもいいことなのだった。むしろ面倒なので早く学校に行きたい、とさえ考えていた。
 「僕はねえ、忘れようとしてたんだー」
 「なんかヤなことでもあったのかよ」
 そもそも悩みとは無縁そうな性格をしている。忘れたいくらい嫌なことが存在するとは思えない。あるとするなら朝ごはんに嫌いなものが出た、とそれくらいなものである。いかに世界の夕城に対する評価が低いのかがわかる。
 「うん、失恋ってやつ」
 それから少しの間、沈黙が場を支配する。世界はただ夕城の言った言葉がわからず、航輔はどう声をかけたらいいものかと悩んだために出来た間だった。
 「失恋って、あれか?振られたってヤツ?」
 本当なのか嘘なのか。世界には全く見当がつかなかった。が、別に本当だろうと嘘だろうとどうでも良かったけれど。
 「そうだねえ、今の僕はとっても切ないよ」
 夕城が漕いでるブランコから一気に飛び降り、ちょうど世界と航輔の目の前に降り立つ。無駄に器用だな、とぼんやりとした感想を世界は思い描いていたのだが。
 「お前にも好きな奴がいるわけだ」
 失恋をするためには、必要なもののひとつ。好きになった相手がいなければ、終わることはないのだから。もっとも、夕城が本当に好きになった相手がいるのかという話とは、まだ別の問題にはなるのだが。
 「ま、そーゆーこと。そんじゃあ学校いこっか君たちぃ!」
 世界と航輔の肩を叩き、夕城は歩き始めていた。

 「なあ、据え膳って言葉あるだろ?」
 唐突に航輔に尋ねてきたことは、ある意味で夕城のようなわけのわからなさを抱えていた。その日は朝から突飛な行動をしている夕城を見かけていたわけだけど、今の世界の質問も突飛と言えば突飛だった。
 この日は学校内の施設見学で終わった上にどこにもよらずに家に帰ったために、午後から航輔は世界の家を訪ねたのだが、いきなり飛んできた言葉がまさしくそれだった。
 「ああ、あるな」
 案外夕城に影響されてきたのではないか、という恐ろしい考えもよぎったけれど。まだまだ断定することもない。航輔は適当に合わせておくことにした。
 「あれってさ、俺がお前に言い寄る場合でも使えるのか?」
 思わず読んでた俳句の雑誌から、世界に目を向けた。据え膳、という言葉は確かにそんな意味を持っているけれど、なぜそんなことを気にするのかはまったくもってわからない。
 「……使えなくても、いいんじゃないか?」
 「面白くねえ」
 そしてなぜかとたんに機嫌が悪くなったようだった。航輔の反応がよっぽど気に食わなかったらしい。もっとも航輔自身は何故そんなにも機嫌を悪くしたのかは皆目見当がつかないけれど、このまま放っておくのも不味い。
 「……使えると思うぞ、言い寄るなら」
 「言うならもっと早く言っとくべきだっただろ、それ」
 さすがに焼け石に水だったらしい。けれど、雑誌を読む航輔の隣に寄り添うように座ってきたのを見て、いつの間にか機嫌が直ったことはわかった。
 「で、俺に言い寄ってみたかったのか?」
 きっかけは唐突だったが、それなりの理由と言うものは存在するはず。そう考えるととりあえず出てきたそれらしい理由。
 「何言ってんだお前、馬鹿か」
 それに対して、世界は呆れたようにため息をついた。好き勝手言うようになった、と航輔は思う。前はこんな風に話を振ってきたりはしなかった。いつの間にか変わったのか、それともこれが素なのか。
 「まぁもう付き合ってるしな」
 「……俺が言おうとしたことを」
 「……お前も言うようになったもんだな」
 春休みを経て、さらに世界のことを知ることができたような。ちょっと嬉しい気分に、航輔は浸っていた。

 その日、その場所は阿鼻叫喚の地獄絵図だった。人の泣き叫ぶ声、赤い痕、そして鉄の匂い。それがこの場を支配していた。そんな場所でただ、少年は立ち尽くしていた。無力な自分を、呪っていた。何もできないことは悪じゃない。この状況でただの少年に立ち向かえという方がある意味で、愚かだ。
 甲高いサイレンが近づいてくる。一体普段の行いがどれほど酷ければこんな事態に直面しなければならなくなるのだろう。少年は自らに付着した赤い染みを気にも留めずに、先ほど起きた惨事を思い出す。そして、そのまま意識を手放した。

 「おはよー、世界」
 毎朝毎朝、なぜか夕城と遭遇する。これは一体幸運なのか不運なのか、世界はどっちなのか見当がつかなかった。さわやかな気分で自転車を漕いでいたのにそれが一気に消えてなくなったことを考えると、それは不運に近いかもしれない。
 「お前も毎日朝っぱらから公園でなにしてんだ?」
 そして今日も今日とて公園にいた。もはや精神年齢は小学生のままなのではないか、とそんな気さえしてくる。隣にいた航輔も似たようなことを思ったのだろうが、そんな気配はおくびにも出さなかった。
 「思いのほか失恋を引きずってるんだよ、僕はね」
 それにしては妙に元気がよさそうだが、落ち込むとわけのわからない行動をとってしまうタイプのようではある。元からわけのわからない奴ではあるけれど。
 「そんなにこっぴどく振られたのか」
 「そりゃあもうねえ、立ち直れそうにないよ」
 その割に飄々としている夕城に、少しだけ疑問を覚えた。けれどどうせ解決することはないだろうと思い、忘れることにした。
 「そんじゃまあ、忘れるこったな」
 もうあまりまともに取り合ってない世界だった。本当かどうかもわからない話にいつまでも付き合ってられないというのが本音。とはいえ無視するわけにもいかない。
 「忘れるには、惜しいんだよなぁ」
 「ああ、そう……行くか」
 もう好きにしろ、とばかりに世界はもう学校へと向かうことを決めた。忘れかけていたことではあるが、今世界、夕城、航輔はともに学校へ向かっている途中なのである。そもそもそこまで余裕があるわけではないにも関わらず公園に寄ったせいでもう時間の猶予も少ない。
 「つれないねえ、人が傷心だっていうのにさ」
 なんだかんだ言っても夕城も時間がないことくらいは把握しているようで、乗ってきたらしい自転車にまたがり、すっと走り出した。
 「傷心には見えない……けどなあ」
 「ああいう奴なんだろ、きっと」
 航輔にも把握しきれてないのか、何とも言えない絶妙な表情をしていた。結局夕城を理解することはとても難しいことなのだろう。航輔みたいにわかりやすければ、やりやすいというのに。

 「およ、世界に航輔じゃん。今日は遅かったねえ」
 やっとの思いで教室にたどり着いたらそこに陸が居た。森田陸。航輔と世界の幼馴染である。なぜかあまり会うことはなかったのだが、それについては陸も忙しかったらしい。とはいえ、この二日のことでしかないので別段それについて誰も突っ込みを入れることはなかった。
 「いろいろあったんだよ、今日は」
 もはや今日という日が終わりかけているような、そんな感じを醸している台詞だったけれど、夕城の相手をするのはあの程度でも疲れる。世界がいろいろと余計なことを考えているせいなのかもしれないが。
 「ふうん、まだ学校来ただけなのにね。あ、航輔は一緒じゃないの?」
 「あれ、そーいやいねーな」
 確かに教室近くまでは一緒に居た。けれど、そこから先は世界の記憶があいまいになってしまっていてわからない。でも、もうすぐ始業のチャイムがなることだし、そうそう変なことをしているわけでもないだろうと割り切る。
 「今日もまだ授業ないんだよねー、つまんないなぁ」
 入学してから一週間は、各種手続きやらで特に授業らしい授業もなく進んでいく。世界としては午前中で帰れるのでそれでも構わないのだが、陸は何故だか不満らしかった。
 

- continue -

2012-09-10

第三話。相も変わらず何の話だかわかりませんねぇ。
そもそも主人公って誰?みたいな感じ。
いやまあそうなりますよね。