第四話 「第一次接触C」

 「にゃー?」
 黒猫。春休みに世界に拾われた、ここあという名前の猫である。拾われたとはいえ普段から放し飼いなので生活に大した変化はなかったものの、拠点ができたということでさらに奔放になっていた。とはいえ、毎日寝るときに世界の家に戻ってくるから、この場所を気に入っているらしいことはわかった。
 「なんていうか、居てやってる、みたいな態度に見えちゃうね」
 それと同じ種族の獣人こと森田陸は、世界の家付近を悠然と歩いているここあを見て呟いた。曲がりなりにもこの猫は春休みには世界の命を救っているわけだ。それくらいの態度はむしろ当然、といえるのかもしれない。
 「まあな、そのうちどっか行くんじゃねーかって思ってたけど結局居ついたみたいで」
 飼い主と言うべきなのか宿主というべきなのか。そのあたりはもう曖昧になってしまったから、もはや世界はどうでもいいと思っていたけれど。
 世界と陸。二人は何をしているかと言えば、今日も今日とて午前中で学校が終わって現在、家に帰る途中なのである。陸の家は本来違う方向なのだが、今日は世界の家に行くということで二人そろっての家路だった。
 「話変わるけどさ、航輔今日あんまり世界と話してないよね?」
 「お、そーいやそうだな」
 振り返ってみればそうかもしれない。時間も短かったし、あまりそんな暇がなかったと言われればそれまでだけど。挙句今日は『先に帰っててくれ』とまで言われた。
 「あれ? 案外気にしてないの?」
 「そりゃあな、一日話さなかったくらいでいちいち気にしてたらやってられねえっつの」
 気にしていない、なんてことはないものの、心の奥底から引っかかる、なんてこともないのだった。一応そのあたり、きちんと信頼関係はできている二人なのだった。
 「それくらいで落ち込む君も割と見てみたかったんだけどねぇ」
 「おい、さりげなく何言ってんだ」
 そんな普段通りの会話をしながら家に入る。基本的に世界の家は誰もいないから幼馴染連中で集まるときは案外便利な場所なのだ。ただ難点があるとすれば、村の隅っこにあるということだ。
 「なんていうかね、航輔がいないのに違和感があるね」
 「ここあいつの家じゃねーんだけどな」
 何か陸に飲み物でもふるまおうと台所へ向かう。ただ、何故か今日はお茶しかなかった。今から買いに行くとなると結構な時間になるので世界は諦めた。
 「休みとかずっと一緒に居るじゃない、羨ましいなあ」
 ずっと一緒、と言っても航輔が押しかけてくるだけなのであまり世界の意思は関係ないのだが。それが嫌だという訳じゃないが、航輔の押しが強いせいで受け身になっているところはある。
 「そう、かな……」
 付き合いだして間もないとはいえ、今の今までそんな雰囲気でやってきたわけだ。だから、世界にとってそれが当たり前の状況になっている。少し首を傾げてしまったのはそれが理由だった。
 「ひとが一番幸福を感じる時って、どういうときか知ってる?」
 やや間があって、陸がそう世界に問いかけた。大して世界は、押し黙る。端的に言うなら質問の答えがわからなかったから。人か何に幸福を感じるかなんて、それぞれ違うだろう。だからむしろ、それが答えなのではないかと、最後にはそう結論した。
 「さあ、そんなのそれぞれ違うもんなんじゃないの?」
 「まぁ、それもある意味正解なんだろうけどさあ」
 世界の答えに対して、陸の反応はまるで肩透かしを食らったかのような。予想外の回答だったのだろうか。
 「じゃあなんなんだよ」
 「恋をしたとき、らしいよ」
 あまりに予想外の答えに、世界は言葉を失った。
 「かくいうお前はそんな奴いねーの?」
 「いやそりゃいないでしょ」
 なにをもってそう自信満々に断言するのかは世界にはわからなかったけど、とにかくそれ以上この話題が発展することはなく。
 「そういえば、世界ってば東雲君と仲良いよね」
 新しいクラスの話題に、切り替わっていった。
 「なんだ、あの馬鹿が気になるのか?」
 「面白そうじゃない?」
 実際のところ面白いかそうじゃないかと聞かれればそうじゃないと答えざるを得ないし、そもそも夕城とそこまで仲のいい自覚はなかった世界としては、陸の言葉はそれなりに驚いた。
 「じゃあ、まあ……話しかけてみたらいいんじゃね? 今元気なさそーだけど」
 「あれ、そうなの?」
 他人の話をあれこれ話すのは正直どうかと思ったが、口止めされていなかったうえにそもそもあまり本人も気にしてない様子だったので、世界はまあいいか、とばかりにかいつまんで夕城が言っていた、失恋したという話を陸にも話したのだった。
 「ふうん……」
 ところが聞かされた本人はあまり興味なさげだった。世界だってそこまで興味があって話を聞いていたわけではないものの、少し予想外だった。
 「まー嘘か本当かわかったもんじゃねーけどなー」
 「嘘じゃないとは思うけどね」
 ついで、陸の発言はいったい何が根拠なのかわからなかった。けれど嘯いてる風でもないし、何かしら思うところがあったのかもしれない。
 そこから陸にもう少し詳しい話を聴こうとした時だった。
 「ただいま帰ったぞー」
 航輔がやってきた。重ねて言うけれど、ここは航輔の家ではない。
 「お前もお前ですっかり自分の家扱いしやがって」
 「どこか間違ってるか?」
 「全然間違ってないね」
 笑いあう航輔と陸に、もしかして間違っているのは自分なのではという疑念にかられた世界なのだった。一応家主という立ち位置であるにも関わらず、何故自分がこの話に於いて蚊帳の外なのだろうか。

 午後五時を過ぎたあたりで、陸は『あんまり邪魔しちゃ悪いしねー』と言い残して帰って行った。むしろ航輔と過ごす時間が多すぎて陸が居たりすることの方に新鮮味を感じていた世界にとって、少しさみしい気分にさせられる。意外な弊害だった。
 「なんだ、俺より陸の方がいいのか」
 そしてそういう時に限って世界の思考を読んでくるのがこの航輔という奴なのである。この調子だと一生変な気を起こすことはなさそうではある。起きる前にきっと航輔が感づくだろうから。
 「なんというかな、お前と居る時間はもう当たり前になってるんだよな」
 だからこそ、他の人と居る時間も必要なんだと思うようになってきたということだ。
 「それはどうなんだろう、いいことなのか?」
 「嫌いになったわけじゃないしいいことじゃねーのー」
 ただだからと言って航輔への気持ちが変わったわけではないのである。いかに言い方が適当であったとしても、だ。これはむしろ世界の性格に起因している。
 「ふざけてるのかお前はー」
 先ほどまではなんだか半分くらい信じていたらしく若干引きつった表情を浮かべていた航輔だが、どうにか落ち着くことはできたらしい。
 「俺は割と真面目なんだぜー?」
 真面目に航輔のことが好きだと、ただそれだけの話だった。

 「ところで、今日お前は何をしてたんだ?」
 ひとしきりの会話が済んだろところで、世界は航輔に聞いた。普段ならむしろ一緒に帰りたがるのに今日は『先に行っててくれ』とのたまったのだった。そして結局理由を聞かずじまいだったので、折角の機会なので尋ねてみたのだった。
 「ちょっと人に会ったんだ」
 「そーか」
 一体誰と会ったのか、すごく気になるものの、航輔が言わないということはきっと世界の知らない人なのだろう。そこで少し思った。自分はどれだけ航輔の知らない人間関係を構築できてるんだろうか。大なり小なり疑問だった。
 「なんだ、嫉妬か?」
 なんだか楽しそうな声が隣から聞こえてきた。
 「んなわけねーだろ、いちいちそんなこと言ってたらキリがねーっての」
 気にならないといえばうそになる。けれど毎度嫉妬じみた感情を滲ませたって仕方がない。そういう意味では、航輔が世界を裏切るような真似をしないと信じることにしている。
 「心配するな、今日初めて会った先輩だから」
 意味があるようなないような、そんな慰めの言葉だった。だけど世界に心配をかけたくないという思いだけは十分伝わってきた。
 「俺心配したって一言でも言ったか俺?」
 けれどそんなことを思ってなかったといえばそんなことはない。ただ言おうものなら航輔の反応がもっと過激になることは分かりきっていた。
 「ほーう、そうかそうか」
 そして意味ありげにニヤニヤと笑い始めた航輔を見て、世界は小さくため息を吐いた。心の声までダダ漏れなのだろうか、と。構わないといえば構わないが、多少相手が面倒になる程度だ。
 「会話として間違ってるんじゃないかー?」
 傍から見れば意味不明でしかない。ただ傍から見て意味がある会話にする必要があるということでは、必ずしもない。
 「細かいことは気にするな」
 結局その日も、特に何かあったわけじゃない。平常通りの一日だった。付き合っているんだという実感はないにしろ、航輔との仲は徐々に深まっていると世界は感じつつあった。ただ、一緒に居るだけで、それいいのかと考えてしまったりもするけれど、まだ自分からそういうことを言い出せない以上、仕方のないことだった。
 そしてそれは、航輔も、同じだったのだが。二人してお互い同じことを考えているとは夢にも思わないのだった。
 

- continue -

2012-10-15

一か月ぶりですねえ。こんばんは。
この話はしばらくこんな感じです。序盤はこの二人に焦点があたりまくってます。
ええ、まだ序盤ですとも。