episode01-3 二人と

 あくまでも、ちょっとした脅しのつもりだった。自分の行動を最高のタイミングで妨害したその相手に。腕を掴まれてから少しの間世界は完全に怒っていた。しかしカッターナイフを拾いにいった段階でもう冷静になっていたのだった。だからこれは、航輔に対する意趣返しだ。
 慌てて逃げるような臆病な性格でないことくらいは世界も熟知している。ただ、さっきからの流れからすれば本気だととらえるくらいはするかもしれない。そうした場合、航輔はどうするつもりなのか。それを世界は一度見てみたかった。
 先ほどまでの焦りの表情から一転して難しい表情を浮かべている航輔を見る。一体何を考えているのだろうか。命乞いか、はたまた。なんでもいい。何か反応があればすぐにでも刃を仕舞って冗談だ、と言ってみせる。
 二人の間に風が吹く。少し庭の砂も舞う。しかし二人とも、それをまったく意に介さない。空は活動を促すように晴れ渡っているのに、松木島家の庭に居る二人は微動だにしなかった。
 様子が変だ、と気が付いたのは世界の方だった。もうかれこれ5分程度経つ。だが航輔は一切何も反応を見せないのだ。さすがにおかしい。命がかかっている、と言えば大げさな表現だが今それに近い状態だ。まともな精神状態ではないだろう相手に凶器を向けられているのだ。世界にその気はないとはいえ、いつ刺されてもおかしくはない。
 けれど航輔の方は、最初の方こそ難しい表情を浮かべていたが、今は普通だった。普通、としか言えないような顔。たとえば一人で学校に行くときのような。一人になってしまったときに誰に見せるわけでもない通常の顔。そんな表情に思えた。
 なぜここへきてそんな表情を顔に貼りつけているのか世界には理解できなかった。なぜなら意味がわからない。航輔は今でも自然体で、もし世界が何かしようとしても抵抗すらしないような気がした。もちろんそれは世界が思っただけであり、実際にどうなのかは全くわからない。それでも世界は、実行に移すことだけはできない。
 案外、反応を試されているのは自分の方かもしれない、と世界は感じた。

 航輔はとにかく迷っていたし、焦っていた。自殺をたくらんでいた者が今度はその刃を他人に向けたのだ。行動の真意がわからないと言っても仕方のないことだ。ただ、もし本気だったら問答無用で襲い掛かってくるだろうし、こんな風に問いかけをする余裕があるとも思えない。
 その行動に意味はあるのだろうか。意図はあるのだろうか。何かを考えての、行動なのだろうか。いくら考えても合理的な理由は見つかりそうにない。きっとそれは、世界が何も考えてないことの反証になる。となればここからは、航輔自身がどうしたいのか、という話になる。
 (どうするべき、か……)
 世界からカッターナイフを奪うのも一つの手である。それさえしてしまえば一応、解決の目途はたつ。ただし、それはあまりに応急処置的ではあるのだが。根本的な解決には至らないだろう。それをすることが航輔に出来るのかと問われれば、出来る自信がないと答える以外にない。
 一体航輔はどうしたいのか。一番の問題はそこだ。世界の自殺を止めたいのか、それとも単に見過ごせなかっただけなのか。あの時世界がカッターナイフを手首に当ててる状況を目の当たりにして自分はどう思ったのか。
 (止めて、やりたい)
 けどそれにはどうすればいいのだろう。まずは落ち着かせてやることだろうか。いや―――
 ―――世界がそうしたいのなら、受け入れてやるべきではないだろうか。
 突如降ってきたのは言葉なのか、それとも航輔の考えていたことなのか。それを区別することは難しい。けれど、それは既に航輔の考えとなって根付く結果を招いてしまう。要するに、世界に殺される道を選ぶ。そういうことになる。
 どこをどう解釈したところでそれが最善の道にならないのは明白である。航輔ももちろんそう感じて、すぐにその考えを捨てた。
 そんなときだった。世界はふっと強張らせていたらしい全身から力を抜いて、カッターナイフを捨てた。
 「さすがに俺も、幼馴染を殺したいと思うほど人生捨ててないからな」
 苦笑い、だった。思えば随分と長い間、表面上は無反応を貫いていた。とすれば世界は根負けしたというところだろう。知らず知らずのうちに航輔は世界に勝っていたのだった。
 「俺が悪かったよ、あんなの見たら誰でも止めるだろうしな」
 肩を竦め、やれやれと言わんばかりに息をゆっくり吐いた。そして、そのまま踵を返す。
 「あのな、なんでそういう―――いや、やっぱりいい」
 もうこの話題に触れるのはやめよう、と航輔はそう思った。何がどう作用したのかはわからない。ただ言えるのは、先刻のような言い知れぬ狂気じみた雰囲気は感じない。
 「時間あるなら、上がってかないか?」
 ふと何かを思い出したかのように世界は立ち止まり、航輔に問いかけた。一応航輔も世界と話したいことがあったから、それは構わないのだが。
 「……それなら、あっちに行かないか?」
 航輔は、世界の家の上側を指差す。そこはおそらく、森林部を除いて海城村で最も標高の高い場所。すなわち高台である。一応柵が設置してあり、その上にベンチも置いてあるのだがいかんせん村の外れに位置しているために、ほとんど人が来ない。そんな場所。
 「わかった、準備してくる」
 そして縁側から家に入っていった。なんとなく、航輔もそれについて行く。随分と久しぶりに世界の家に入ったような気がする。縁側から左に進むとリビングがある。そこで世界は何やら探している様子だったが、航輔が来たことに気が付くとその手を止めた。
 「なんだ、入ってきたのかよ」
 「ここに来るのも、随分久しぶりだしな」
 適当に相槌を打つと、また世界は小さめのデイバッグを持って何かを詰め込んでいた。
 「上行くだけなのに何持ってくんだ?」
 あらかた準備を終えたようで、デイバッグを担ぐと世界は答えた。
 「いいだろ、なんでも。行くならさっさと行こうぜ」
 航輔は少し首をかしげると、再び縁側に向かった世界の後を追う。デイバッグの中身が気になるものの、あまり詳しくはつっこめないのだった。

 その場所には、誰もいなかった。鬱蒼と、というには太陽の光が多く差し込む森の中。きちんと間伐が行われているようで、森林浴をするには快適な場所である。ゆったりと歩きながら、居心地の良さを感じていた。あるいはそれが、この森の特色と言えるのかもしれない。
 落ち葉が腐り、土状になると腐葉土、と呼ばれる代物になる。それは長い月日をかけて自然が作り出す天然の肥料であり、植物の栽培や昆虫の飼育にも適している。その上を踏みしめるように歩く。
 いつ頃からここに居るのかはわからない。気づいた時にはすでにここに居た、と言うほうが正しい。きっとここで生まれたのだろう。居心地はそう悪くはない。空気は綺麗だし、川の水は澄んでるし、なにより車や自転車が通る場所がほぼ限られている。そこさえ気を付ければどんな無茶なことをしていても安全だ。そういう点がここに住んでいて気が楽に思える要因なのかもしれない。
 ただ、今日の自分はらしくなかった、と反省をするべきなのかもしれない。木漏れ日の中を当てもなく歩きながら思い出す。ああいうことを進んでやるのは少なくとも、今までの自分の性格を鑑みた上ではありえないこと、と言わざるを得ない。たとえ恩があると言っても。
 けれどそういうのもたまには悪くない。素直にそう思えただけでも、満足だった。

 「ていうかさ、お前何しにこんなとこまで来たんだよ」
 縁側に置いてあったクロックスをつっかけながら世界は言う。それはそうだ、遊ぶ約束でもない限り、世界の家に来る理由は特にない。そうなるとどうしてここに来たのか、ということに対して疑問を持つのは間違っていることではない。
 「ああ……まあなんとなく散歩してたらな……」
 まさか嫌な予感がしたので来ました、という訳にはいかない。さすがに世界も理解しがたいだろうし、なにより航輔も理解ができていなかったから。あれが俗に言う虫の知らせ、というやつだったのだろうか。今更思い返していたところで仕方のないことだ。けれどあれがなければ今頃どうなっていたのだろう。
 「ふーん……随分活動的だよな。暇があっても俺なら外出歩いたりしねーけど」
 一旦敷地の外に出て、そこからまた上り坂を上に進み、左にカーブした先にその一角は存在する。位置としては世界の家の真上にあたるのだがそのあたりの関係上、少し距離がある。
 「インドア派すぎるんだ、お前は」
 面倒くさいから、という理由で時たま誘いを断ったりすることもあるのだ。鎌橋まで行くとなるとなおさらである。とはいえ、近頃はあまり誘うこともしてないので今はどうなのか、航輔にはわからないが。
 「人を引きこもりみてーに言うなよ、マジで」
 少しむくれ気味に言いながら、二人はようやく高台にたどり着く。ほぼ円形状の芝生広場になっていて、入口から左側は柵、右側は森で形作られている。柵とはいえそこまで高いものではなく、航輔の腰よりも少し高い程度になっている。
 そこから一番世界の家より、つまり一番村の景色が見渡せる場所にベンチがいくつか設置されている。まだ新しいのか、綺麗な赤色をしていた。いつまでも、座ってくれる人を待つように。
 

- continue -

2012-02-27

プロット書いた段階で自分的に自然な流れは作ったつもりなんですけど、やっぱり書いてるとどうにも不自然すぎる場面に遭遇しちゃいますね。
あとこういう風にしたらもっと面白くなるんじゃないか、っていう話も書いてる途中に思い浮かぶことが多いですね。
ちなみに今回初めて二人がまともに会話をしてたりします。
仲が悪いわけでもなければ特別いいわけでもない―――わけでもなかったり。
そのあたりは今後の話で分かると思います。