episode02-4 夕暮れの心象

 それは世界にとって、久しぶりの経験だった。友達である、陸や航輔と一緒に鎌橋に来たこと。それは航輔が誘ってくれたからだった。久しぶりに楽しいと思えるような出来事だ。あの、三日前に自殺しようとしていた自分とは違う気がしていた。
 もしかしたらあの時、自分は生まれ変わったのかもしれない、とまで考えていた。あれ以来、なんとなくでも死のうとは、思わなくなっていた。それもおそらく、航輔のおかげだろう。それを思えば、1個150円程度のドーナツくらいでは到底言い表せない気持ちが世界の中を巡っている。
 それは具体的にどのような感情なのかはわからない。友情、というならそうなのかもしれないが、曖昧だというのが正直なところだ。曖昧模糊ではっきりとわからない。気持ちの整理がつかない。好意、といえば簡単なのだろうが、それがどの程度なのかわからない。それが余計混乱を招いているようにも思える。
 注文したドーナツを受け取ると、二人が確保しているだろう席へと向かう。
 陸なら簡単に、友達だって言える。親友ともいえる。なのになぜだろう。航輔に対してそんな言葉で言い表すことになんとなくためらいがあるのは。もちろん、そこに悪い感情が存在しているわけではない。好き嫌いで聞かれるのなら迷うことなく好きだと言える。
 たしかに、自殺を止められたときは怒りの感情が湧いてきた。それは世界も認めるし、認めざるを得ない。航輔にカッターナイフを向けたことがいい証明だ。けど、それはただ、死のうとしたということを知られてしまったことによる気恥ずかしさ、とでもいうのだろうか。あの時点までは確かに死のうと思っていたのだから、そんな感情があること自体おかしなことだろう。けれど、あくまでもあの時は恥ずかしさのあまり激昂したのだと言わざるを得ない。  「世界ー、ありがとー!」
 テーブルに座ると、開口一番陸が礼の言葉を発し、同時にドーナツをつかんでいた。一方の航輔はなにやら難しい顔をしていた。一体何を考えているのだろう。自分の命の恩人ともいえる、この竜人は。
 「ほら航輔、遠慮しないで食え食え」
 そう言ってやるとようやく航輔も手を伸ばした。難しい表情もいつの間にか消えていた。
 「ま、これに懲りたらもう遅刻しないよう努力するんだな」
 軽口も叩く。一体さっきのはなんだったのだろう。もしかすると世界の気のせいだったのだろうか。それならそれで構わないのだが、言いようのない不安な感じもする。
 「……わーったよ、次から気を付けるから」
 「ほんとにー?世界のことだからまたやりそうだけど」
 それでも世界は思ってしまう。次は果たしてあるのか、と。こんな考えに至ってしまうのは、精神が不安定だからなのか。そのあたりに特に興味は湧かないが、とにかく次は、いつになるのだろう。陸や航輔が誘ってくれるのを待つのだろうか。今回世界がこれたのは偶然みたいなものなのに。
 それなら次回は自分で誘ってみたらどうだろう。それはできない、と即座に否定する。自分と違ってそれなりに忙しそうな二人である。予定が空いてなかったら、と思うとうかつに誘うことはできない。したくない。
 「お前は食べないのか?」
 食べかけのドーナツを片手に、航輔に話しかけられた。ひとまずそんなことを考えるのは止めにする。せっかく誘ってくれたのだ、暗いことを考えている場合ではない。
 「食うにきまってるだろ!」
 航輔との距離感もいまだに掴めない。けど嫌いじゃないならそれでいい。これ以上はわからないなら考えてても仕方ない。いつか答えを出さなければならないことだとは思うけど。いつまでも悩んでいて答えが出るという保証がないのなら、考えを止めることも一つの選択肢だ。
 それはまるで、遠浅の海で一つの真珠を見つけるような作業だ。いつかはそれを見つけなければならない。けれど、どこから手を付けていいのかさえ、わからない。その行為が簡単なのか難しいのかもわからない。案外足元に落ちているのかもしれないし、どこか遠くに沈んでいるかもしれない。もしかしたら砂浜に埋まっている、そういうこともあり得た。  最初から答えは、出ていたのかもしれない。気づかなかったことにしているだけかもしれない。けれど今は、それでいい。
 ドーナツをかじりながら、航輔を見る。いつから交流があるのかはわからない。昔からよく一緒に遊んでいたことは覚えている。けれど最近は交流が薄れていたころあいだった。何が航輔との交流を希薄なものにさせていったのか。
 答えは簡単だ。受け身になったから。いつからか航輔に誘われるのを待つようになった自分がいた。それがいけなかったとも思わない。しかしそれのせいで、今こうしてよくわからなくなっている世界が、いた。

 そこからの流れは単純に解散、ということになった。カラオケ等に行ってもよかったがあくまでも今日の目的は買い物だったし、特に行く必然性も感じない。航輔以外の二人は荷物があるし、もうすでに5時も近い。帰るにしてもいい頃合いだ。
 ということで今から家に帰るということにしたはいいのだが、駅前から海城村に続く長い坂道に差し掛かった時に問題が起きた。問題、というほどのことではないのだが、単に世界が坂道の途中で体力が尽きたらしく歩き始めた。
 「さ、先行ってもいいぞー……」
 しかしながら、ここで置いていくのはさすがに薄情が過ぎる。とはいえ最初からそんな考えなどなかったのだが。
 陸と三人で、薄暗くなり始めてきた夕焼けに染まる道を歩く。まだ坂の中腹くらい。行くときは便利だけれど帰りはつらい。そういう場所だ。
 「まったく、世界もちょっとくらい運動するべきなんじゃない?」
 呆れたような陸の声。その言葉には納得するしかない。世界もそうらしく押し黙りつつ自転車を動かしていた。
 「ま、今度一緒にバスケでもしようぜ」
 「それは遠慮しとく」
 「航輔とやるのはちょっときついもんねー」
 坂の上に着き、そこで陸と別れた。世界と航輔の家とは少し違う方向なのだ。そして、航輔の家に着いたとき。
 「お前の家まで、送ってくよ」
 「……俺別に小学生とかじゃねーんだぞ?」
 怪訝そうな世界の顔。それはそうだ、こんな意味が分からないような提案をされたらそう思うことだろう。だから、ちゃんと説明もする。
 「ちょっと、話したいことがあってな」
 それを聞いて、世界は思案顔になる。どういった意図がこの発言に含まれているのか考えているのだろう。深い意味も何も、存在しないのだが。世界は何も言わなくなったので、とりあえずゆっくりと歩きだす。完全に夕日は沈んでしまったようで、薄暗くなっていく。その中を二人、自転車を押しつつ、歩く。
 「今日のお前さ、ちょっとだけ寂しそうだった。なんでだ?」
 単刀直入に聞く。時折見せた表情は、間違いなくそうだった。たとえるなら流れ星を欲しいと切望するような。何かを手に入れようとしても手に入らないと気づいたような。そんな表情。
 「……お前、人の心でも読めるのか?」
 やれやれ、といった調子で世界は肩をすくめる。どうやら航輔の言ったことは当たっていたらしい。
 「俺は、ただなんとなくそう思っただけだ」
 「また今度、って言ったよな」
 帰る直前に交わした会話の一部、だったはずだ。
 「それより前から思ってたけど、また今度は来るのかな、って」
 それは世界の、想い、寂しさ。それ自体が悲しいわけじゃない。けれどまた、次の機会が本当に来るかどうかはわからない。たとえそれを約束したってそれは変わらない。
 「俺、自分から誘う勇気ないし……やっぱり」
 「来るさ」
 世界の言葉を遮る。これ以上世界の言葉を聞いていられなかった、ということが一つ。自虐にも似た世界の独白は航輔の心にも影響を生み出す。それは反響して、共鳴して。
 「約束する。さすがにいつか、って約束はできないが。絶対」
 安心させてやることが一番だと思った。もちろん約束した以上は守るつもりだけれど。とにかくやはり、話を聞いておいてよかったと思う。
 「……わかった」
 世界の家には、それからすぐに着いてしまった。航輔としてはもっと話したいこともあったが、そこはこらえる。
 「それじゃ、ありがとな」
 自転車のスタンドを立て、そして航輔のほうを振り返って世界は言った。
 「ああ、じゃあな」
 そして航輔も自転車に乗り、別れを告げる。そのまま引き返して、坂道を下っていく。とっくに太陽は沈んでしまっていて、小さな街灯が孤独に真下を照らしている道を、下っていく。
 さっき世界にした約束。それはとっさのウソの類ではない。航輔がそれをしたいと思ったから、約束した。また今度、一緒に遊ぶ。なぜこうも必死になっているのか、自分でもよくわかっていないが、それでもいいと思った。前に進むだけなら、それで。
 ただ、今も気になってしまうことがひとつある。それは世界がなぜ死のうとしていたのか、だ。今日の様子を見る限り、そんなことをする必要があるほど追いつめられていたとも思えない。……それはあくまで、航輔が見たからであって、実際に人が死のうと考える理由は一筋縄ではいかないものだ。ただ、この話は蒸し返したくはない。けれど、考えれば考えるほどわからないし、気になってしまうのだった。
 

- continue -

2012-03-08

徐々に心の交流も始まってきた二人です。
お互い友情ではない何かを相手に感じているようで、でも正体がわからず苦悩してます。
苦悩っていうより戸惑ってます。
むしろ陸に対してはわかりやすく友情、と言い切ることができるのでそれがまた。