松木島世界が何を考えていたかといえば、実は何も考えていなかった。ただ茫然と、いまだに携帯電話を握ったまま布団に座り込んでいた。ただ、後悔の念だけが巻き起こる。さっきの言葉が頭の中をぐるぐるまわる。それから抜け出せなくなってしまう。 死のうとした理由、だったか。ない。無理やり取り繕うにも考える時間が足りない。かといって本当のことを言うことはしたくない。なぜならそれを言って、航輔にどう反応されるのか。それを考えるだけでも怖い。なんとなくで死のうとしていた自分を、航輔がどう見るのか。それを知りたくなくて、あそこで電話を切ってしまった。 いつかは聞かれることだと思っていた。けれど、それが本当に来る日のことを考えたことがなかった。どこかでまだその機会は来ない、と言い聞かせていた節もある。だから、今日それがやってきてしまったことで世界は混乱の頂点に達していた。 航輔になんて言うのか。本当のことを言うのか。それを言ってしまえば頭のおかしい人間だと思われないか。考えたくなかった。けどその事態に直面してしまった以上、もはや世界にはどうすることもできないのだ。これ以上逃げることはできない。 今までは逃げることを意識していなかった。ただ惰性で今を生きているだけで、何も考えていなかった。その結果がこれである。全く持って馬鹿だ、と世界は自嘲した。あの後航輔から謝罪の言葉が書かれたメールが来たけれど、これにもなんと返してよいのかわからず、『今は聞きたくない』、と返してしまった。それもまた、後悔する羽目になっている一因かもしれない。きちんと最初から言っていれば、あるいは。 いや。そんなことを考えることすら、逃げることにしかならない。けれど、それならどうしたらいいのだろう。答えは見つかりそうになく、ひたすら巨大な迷路をさまよっているような錯覚さえ与える。 一体、自分はどうしたくて、何がしたいのだろう。すぐに答えが出ないとわかっていても、問いかけてしまうのだった。 なぜだろう。なぜ自分はあんなことを世界に聞いてしまったのだろう。航輔は自問自答をしていた。聞いたらいけない内容だとは、おそらく自覚はしていた。けど、どうしても気になって気になって、つい言葉が口をついて出ていた。あのまま押しとどめておくのは無理だった、というのはもはや理由にはならない。後悔だけが先立ってしまう。 電話をした後にもメールを送ってみたが、反応は要領を得ない感じだった。世界自身、おそらく整理がついていないのだろう。それを考えれば少しは救いになったかもしれない。実際にはメールする前に比べても、状況なんてほとんど変わっちゃいないのに。 なんてことをしてしまったのだろう。世界は死のうとしていた。それは事実。けど、恐らくはそれを乗り越えて楽しくやっていた。少なくとも一緒に過ごした時間ではまず間違いなくそんなことを考えていなかった。だからこそ、もう忘れようとしていたのかもしれない。そんな事実ごと。 航輔もそれに倣えばよかったのだ。それさえ押し殺していれば、まだ普通に友達としての関係が続いていたのかもしれない。あるいは、航輔がそう思っているだけでいまだに関係は継続しているのかもしれない。それは世界に聞かない限りわかりはしないのだが。 そうこうしているうちにも時間だけは過ぎていく。そろそろ昼ごはんを食べて、陸の家に行く時間だ。もともとは世界も誘ってみる予定だったけれど、こうなってしまえば誘いづらくなってしまうだけだ。ひとまずどうするのか考えることは止めて、陸の家に行くことにした。気分はひどく落ち込んでいたが、それだけを理由に約束を反故にするわけにはいかない。 奏はとうに仕事に行ったようで、リビングのテーブルに作り置きがしてあった。人手が足りないと時間前に駆り出されることもままあるのだ。父に至ってはもう病院に泊っていることのほうが多い。それに文句は言いたくはないのだけど。 すべての思考が暗がりに引きずり込まれるようだった。いつも通りの光景も何かしらの黒い光景にまみれているようで。なぜだろう考えれば考えるほど何か取り返しのつかないことになるような気がしていた。 「何かあったの?」 そんな状態だったからだろうか。陸にそんなことを聞かれたのは。さすがの航輔も今回ばかりは響いている。引きずっている。というよりは吹っ切れない。気持ちの切り替えができない。 「まあ、ちょっと、な……」 一瞬、陸に話そうかとも思ったが、自分自身でもいまだに整理しきれていない。となればそれがいくら陸であっても説明することは難しい。一を聞いて十を知る、そんな芸当ができるようじゃないと、よっぽど難しい。もっとも、航輔にそんなことができるのならこんなことにはならなかったのだろうが。 謝りに行くのが一番いい。それは航輔自身も一番理解している。けれどどんな顔して謝りに行けばいいんだろう。きっと足が重くて途中で引き返してしまうのがオチだ。 けれど。一番不可解かつ理解できないことは。ここまで動揺してしまっている自分はなんなのだろう、ということだ。今まで誰かを無意識に傷つけてしまったり、喧嘩したりしたことはたくさんある。けどそのたびにうまく乗り切ってきたつもりだ。けど、世界に対してはそれがうまくできる自信がない。それがなぜかはさっぱりとわからない。 どうにか昨日のような関係に戻れたら。そんな一縷の望みみたいなものにすがるのは嫌だけど。とにかく今は、自分がしでかしたことの重大さや、これからどうすればいいのか。あるいはどうしたらいいのか。全く見当がつかなかった。考えたくないだけなのかもしれないし、そうでないのかもしれない。 「喧嘩でもしたの?」 対面に座っている陸はおもむろに口を開いた。大当たりとまでは言えないけれど、ほぼ当たりだ。陸みたいに人の気持ちを察することができることができれば少しはましな事態になったのかもしれない。自分にできないことを羨んでも仕方ないが、かといって羨まずにはいられない。 「……そんな感じ、悪いな」 正直に言って、ここまで深刻に落ち込むとは自分でも思わなかった。だから、こんなにもいろんなことを考えて、いろんなことを思うのか。とりあえず、もうすこし踏ん張るくらいはしないと陸にも迷惑をかけるような、そんな気がした。そこまで弱いはずはないのに。 「謝りに、行きたいんだけど」 なんと告げて会おう。なんと言って許してもらおう。わからない。考えてもわからない。だから、今はまだ、前に進めない。 「それなら、早いうちのほうがいいんじゃない?こじれてからじゃ、遅いし」 正論だと思った。だったら、それを実行するほかはない。そう思えたら、なんだか気が楽になった。 けど。まるでわずかずつ侵食していくように。毒が体を蝕むように。なんて言えばいいのかに見当がつかないこと。これのせいで思考がそこで止まってしまう。 結局その日は、世界の家に行けずじまいだった。その日だけでなく、次の日も。 いっそ、死んでみようかとも思った。ここまで会いに行くのをためらうのなら。もちろんそんな考えは一瞬にして消え失せたけれど、なるほど世界はこんな風に物事をとらえていたのだろうか。死にたいというよりは、消えてしまいたい。どちらも最終的な意味合いは似たようなものだが。 それではなんの意味もない。第一そんなことで死を選ぶほど航輔は弱くはない。確かに相手が世界、という理由だけで迷ったりもしたけれど、結局やることは一つである。迷っている期間が多少長かったけれど、もうこれ以上何かを考えていても仕方がない。 もう謝るしかない。少しだけ時間が開いて、ちょっとだけ気まずいけど。これ以上先延ばしにするともっと勇気がいりそうだから。そうなる前に、もうさっさと謝ってしまうことにしよう。何も考えないで、ぶっつけ本番に、土下座でも何でもして。それだけする理由もあるし、必要もある。 善は急げ、とか思い立った日は吉日とかいろいろと言葉はあるけれど、まだ3月26日、午前10時。午後まで待つのが一番最善だ。世界が寝ていると困る。 と、そんなことを考えていた矢先だった。メールが来た。誰がこんな時にメールを送ってくるんだ、と多少苛立ち気味に差出人を確認すると、なんと松木島世界だった。あわててメールを開封する。それはこんな内容だった。 『話したいことがある』 話したいこと。それはいったい何なのだろう。航輔にも、世界に話したいこと、むしろ言いたいことがあった。それにもうすでに起きているのなら、好都合。今から世界の家に行ったほうがいい。 『今からすぐ行く』 もう返事を待つことはしない。自分で決めたことだから。世界に謝ると決めたから。立ち止まってしまった時間はちょっと長かったかもしれないけど、それだって意味のないことじゃ、ない。するべきことも、したいことも今はもうはっきりと見えている。 携帯電話と自転車の鍵は持ち。あと一応財布も持って行っておく。必要になるとは思わないけど、貴重品だ。ゆっくり踏みしめるように家を出る。そして自転車に乗る。そして走り出す。今は一刻も早く、世界に謝って、そしてまた前みたいな関係に戻りたかった。それだけをひたすらに、見据えていた。 |
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2012-03-12
このあたりこそ、まさしくこの物語の承にあたるんでしょうな。
この話は航輔側の話になるので、次からは世界側の話が始まります。
徐々に伏線の回収も始まっていくような。