第04話 『名前、言ってなかったよね』

 スッと目が覚めたのは、寒さゆえのことだった。どうやら朝早くにストーブの電源が切られてしまったらしい。犯人は大方分かっている、母親だろう。いくら火事が心配だからってこの調子では先に俺が風邪を引くのが先だろう。
 窓にびっしりと張り付いた結露にもため息をつきながら、カーテンを開く。昨日の夜ちらついていた雪はそそくさと止んでしまったらしく、結局寒さだけを残して空は快晴だった。再びストーブを点け、窓ふき用のタオルで結露をふき取ってやる。部屋が暖まったのかまたうっすらと窓が曇ったが気にはしない。
 ゆったりと着替えを済ませると、一階にあるリビングへと向かう。父は休日なのに仕事、母は土曜日に特売があるとかですでに出かけてしまった後だった。トーストにコーンスープという簡易的な朝食を取って部屋に戻る。携帯が目覚ましでもないのに騒がしい音を立てていた。
 けれどそれには出ずに、さっき窓を拭いたタオルともう一枚タオルを持って部屋を出る。洗面所で顔を洗って歯を磨いて、二枚とも洗濯機の中へぶちこみ、身支度を整えてストーブを切り、俺はようやく家を出た。
 日が高くなりつつあるとはいえど寒い。さすがに息が白くなることもなかったけれど、身に染みるような寒さは健在だ。そんな中俺がどこへ行こうと知れいるのかと言えば、言わずもがな学校である。
 ここでようやく、今までずっと鳴りっぱなしだった携帯を手に取り、通話ボタンを押す。  「いま学校着いたけど」
 相手が怒ってるだろうなあと思ったら、案外穏やかな口調で応じた。
 『部室棟の二階に来てねー』
 よくよく考えればあまり表情を変えない奴だよなと思いつつ、俺は一路部室棟へ。
 部室棟、というのは文化部の部室が集まっている読んで字のごとくな場所である。5階建てで、部室以外にも会議室やシャワールーム、売店まで入ってたりする、ちょっとしたビルみたいなところである。紙一枚出せば借りれる場所というだけあり、秘密基地みたいに使っている奴もいるんだとか。
 ただ、部屋に置く備品の予算の申請は少し厳しいようだ。それでも普通に考えるとやっぱりゆるいのだが。どちらにせよこの学校の部活に関する考えというものはどうにもおかしいと思う。
 運動部が寒さにも負けず走り回って騒がしいグラウンドを抜けて部室棟へ向かう。階段で二階に向かうと、なぜかすでに熊野がいた。
 「おはよ」
 「……それが一時間遅刻した人の台詞なのかな。まあいいけど」
 一応俺にあいさつを返すとついてきて、と言って廊下の奥へ。この階段室から時計回りに部屋が10室設置されていて、中心部は会議室になっている。5階の中心部は宿泊施設にもなっているようで、つくづく無駄なところに金を使うもんだと思った。
 熊野が立ち止まったのは、階段室のすぐ隣の部屋。通称角部屋で、その他の部屋より結構広いので競争率が高い、らしい。比較的低層の角部屋を確保するということは相当権力がある、ということらしいが。
 「ここだよ、僕の部室」
 正確には熊野のものではないが、実質部員が一人ならそう言っても差し支えはない。園芸部と書かれたプレートがくっついてるだけのシンプルな扉ではあるが防犯対策は完全のようだ。カードキーみたいだし。
 「知ってると思うけど、オートロックだから気を付けてね」
 こんな設備がほいほい与えれるこの学校の恐ろしさ。それはもう気づかなかったことにして、俺は熊野に従って中に入る。……普通に綺麗である。が、園芸部の部室に見えるかと言われればそうは見えない。部屋の中央に大きな机が一つあり、扉側の壁面には何かの収納が設置されている。窓際にはパソコンが置かれた机があり、どこかの会社なのか、という印象。
 「なんだこの部屋は」
 正直な感想だった。というより、この部屋の中身は全部予算で手に入れたのだろうか。
 「まあ僕の秘密基地も兼ねてるしね。でもパソコンとかは案外使うからいいでしょ?」
 そう……なのだろうか。俺は園芸部が何をしているのか具体的に知らないから、なんとも言えないことなのだが。
 「通った予算をどう使おと自由だと思う。で、今日は何の用だ?」
 なんであれ学校が承認したのならそれはいいんじゃないだろうか。と思ったところで今日何するのかを聞いていなかったことに気が付いて、失敗したと痛感した。
 「園芸部の説明と歓迎会」
 ……いつの間にか入ったことになっているらしい。昨日の夜あたりからうすうす感じていたことではあるので今更驚きはしない。ついでにもう何を言ったところで遅い気がするので否定もしない。土曜日にわざわざ学校に来て部室にまで来た時点でそう思われてもしょうがない、とは思う。俺がこの展開を望んでいたことについても否定はしないが。
 「何も言わないってことは入部するってことでいいね!じゃあコレ」
 途端になんか嬉しそうに一枚のカードを渡してきた。これが何かは察しが付く。扉のカードキーだろう。
 「まず設備について説明するよ。エアコンはつけてもいいけどあんまり使いすぎると怒られるから注意してね。他は……特にないな。あっちの棚にお菓子とかため込んであるから好きに食べていいよ」
 指差したのはパソコンが置いてある机のすぐそばにある棚。意外と大きいんだがもしかしてあの中全部菓子類なのか。なにやってるんだ一体。
 「で、あとは活動なんだけど……今まで週二、三日だったけど毎日に変更するから」
 「……それは初耳なんだが」
 毎日って運動部か何かと勘違いしてるんじゃないだろうか。
 「部室来てうだうだしてくれればいいよ、うん」
 それは活動と言えるのだろうか。俺には皆目見当がつかない。あまりにお粗末ではあるが、こういった部活も多いようなのがうちの学校。生徒に自由を与えすぎなのではないだろうか。俺が思ったところで何も変わらないが。
 「基本的に中庭の植物の世話が僕たちの役目だね。水やりとか除草とかになるのかな」
 「それをお前一人でやってたんだろ」
 少なくとも部を作ってから今までは。
 「それはそうなんだけど、なんかあの一画が割と好評みたいでもっと花とかを増やしてほしいってこないだ言われたからさ」
 要はこれ以上は一人じゃ無理だから人手を増やそう、って考えたらしい。断るって手段は……なかったんだろうな、きっと。植物が好きなのはよくわかる。
 「で、他に質問は?」
 熊野が俺の言葉を待つように、椅子に腰を下ろした。質問。……一応聞きたいことがないわけではない。が、しかし聞いてもまともな答えが返ってくるとも思えない。
 「……俺を誘った、理由は?」
 けれど、聞かずにはいられなかった。なんだかんだで、理由が欲しかったのかもしれない。別になんとなく、でもよかったから、必要とする理由というものが。
 「あんまり大した理由じゃないんだけど……君とちょっと仲良くしてみたくて」
 あまりに平然と、あっけらかんと言ってのけた。そのせいで俺は熊野が何を言ったのか理解するのに時間がかかる。この俺と、仲良くしてみた、かった?ようやくそれを理解した時に、俺は。
 「……」
 呆然としていた。当たり前だ、そんなことを言われたことは生まれてこの方なかったから。
 「あれ?どったの?市野瀬くん?」
 「俺の名前……知ってたのか」
 今度はそこまで驚かなかった。その前の台詞の衝撃が大きすぎたせいもあるし、そもそも昨日の段階でたぶん知ってたと思うから。だから。
 「まあね。だいぶ前から気にはなってたし」
 でも君いっつも名札つけてないからさー、と俺の名前を知るのにいろいろと苦労した話をしていたらしいが、完全に右から左へと流していた。
 「ねー、話聞いてる?」
 ようやく我に返ったのは、不服そうな顔をしている熊野の顔が目の前に迫ってきてからだった。結構長らくほったらかしにしていたようである。
 「あ、悪い、なんだ?」
 「だから、僕の名前、言ってなかったよね、ってこと」
 実は名札が付いてるから苗字は分かってるのだが。実は下の名前をしらない。そういえば昨日アドレスを交換してメールとか電話とかでやり取りをしたものの、熊野、としか表示されていなかったからわからなかった。
 「僕の名前、熊野翔太って言うんだ。よろしくね」
 「あ、ああ……よろしく」
 差し出された手をつかむ。握手をどんな場面でするのかいまいちわからなかったものの、こういうのも悪くないと感じた。
 「それで、君の名前、なんて読むの?」
 「司だ。市野瀬司」
 いちのせつかさ。たまにいちのせいじと読み間違えられたりもする。名前の区切り方がわかりにくい名前だとは自覚しているが、別に変な名前ではないし俺は気に入っている。
 「司かあ、かっこいいね、なんか」
 「俺はかっこいいとか思ったことはないけど」
 あくまで名前は名前で、かわいいとかそういう形容詞的感情を感じたことはない。
 「ふーん……そういうものなのかな」
 あくまで表面上だけは納得した様子の熊野。けれど引っ張る話題でもないといった心境なのだろうか。
 「じゃあとりあえず今日は……解散でいいよ!」
 ……結局今日は俺は何しに来たんだろうか。いや、理由を考える前に作ってしまえばいいんじゃないだろうか、と俺は思った。そして昼飯でも誘うか、と口を開こうとしたら。
 「そういえば忘れてた、倉庫の場所教えとかないと」
 あっさりと先を越されてなんだか悔しい。けれどまだ昼には早い時間であることだし、ここは何も言わずに従ったほうがいいだろう、と俺は嬉々として部屋から出ていく熊野を目で追っていた。
 

- continue -

2013-09-14

一か月ぶりの更新のようです。
彼ら二人はあいかわらずちまちまと外堀を埋めようとしています。